闇黒日記?

にゃもち大いに語る

評價と好み

アニメのマリみてストパニを比較すれば明かに出來はマリみての方が上だけれども、けれども一方、面白さの點で比較してストパニの方が駄目なのでいいと云ふ意見だつてあり得る。と言ふか俺みたいな駄ニメ好きには終盤の非道さまで含めてストパニの方がはるかに愉快だつたりする。

が、このストパニスタッフがのちに怪物王女を作り今仮面のメイドガイをやつてゐる事を考へると、單純に「マリみての方がストパニより出來が良い」と言切る事も出來ず、寧ろストパニ系の製作者の作風とかさう云ふ言ひ方で擁護すら可能になつて來る。メイドガイなんか、非道いと言つたら今期これ以下は無いと言ふくらゐ非道いと思ふけれども、さう云ふ意味ではこれ以上は無いと言へるくらゐ面白い事は面白い。それに比べれば或レヴェルで安定してゐるマリみてのアニメは如何かと云ふ話にすらなる。

大量の缺點を指摘される嵐が丘は、しかし全體として文學的に極めて高く評價されてゐる。理系の人は理性的に物事を評價するけれども、その評價が必ずしも單純に受容れられるものでもないやうに思はれる。Windows v.s. unixでも、案外單純に評價してしまつてゐる人が多いのでないか、云々。


ハムレットなんか、或人の言ふ缺點が別の人の目には長所と映つたりするし。福田恆存さんのシェイクスピアの評價と、T.S.エリオットの評價とでは對立する部分がある。それでどつちが優れてゐるとか、またそれは單純には言へない事だつたりする。