闇黒日記?

にゃもち大いに語る

2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ものは言ひやう――七鍵氏の狡いレトリック

http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_29_01 世の中には、自分で「正しい」を判斷しなければならない場面などいくらでもあります。それら一つ一つに、誰もが認める「正しい」が存在するなどとの考へ方は、あなたの思ひ上りではありませんか。「正しい」を…

自分にばかり都合のいい考へ方

http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_29_01 仰られてゐる「正しい」とは、「1+2=3」のやうに、誰がどのやうに考へても明らかな正しさのことを例に擧げられてゐるに過ぎません。御存知ないかも知れませんが、説明のできる正しさとは、世の中にある問…

「自分本位」對「自己抛棄」

「現代仮名遣」は、或語について、「このように書け」と一方的に命令するものだ。使用者は、何者かによる命令に從ふ事になる。これを「大變良い事だ」と考へる人がゐる。しかし、なぜ「良い」かと言ふと、その命令者は、「自分」だと、その人は考へてゐるか…

「自分本位」の七鍵氏のずるさ

http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_23_04 人間だれしも自分本位なものです、自分本位な感覺はなかなかゼロにはなりません。特に、意見といふものは自分本位のかたまりのやうなもので、それを、知人であれ親友であれ、見知らぬ他人であれ、ぶつける際に…

『日本文法事典』(有精堂)より

北原保雄・鈴木丹士郎・武田孝・増淵恒吉・山口佳紀編『日本文法事典』(昭和56年12月20日初版発行・有精堂出版)の「仮名遣い」の項に以下の記述がある。 「歴史的仮名遣い」は、契沖によってその基礎が固められた。契冲の仮名遣い観は、『万葉集』や『古今集…

「假名遣ひは價値觀」なる考へ方の誤

進化論も唯物論も、事象に對する價値判斷として機能する。「○○は生存に適してゐたから勝ち殘つた」――勝ち負けの判斷は價値判斷だ。「××時代には支配者と被支配者が鬪爭してゐた」――勿論、鬪爭の結果、勝つべき側が「ある」と云ふのが唯物論の考へ方だから、…

爺氏の單純な頭に感激する

爺氏は、大野晋氏・橋本進吉博士が、科學的な國語學を打立てようとしたから、其れ以前の一切の研究は全て一つの例外もなしに非科學的なものと看做してゐたに違ひないと、驚くべき粗雜な解釋をしてゐる。 先方のコメント欄にも書いたが、橋本博士や大野氏は過…

單純に「かなづかひ」は「規範」だと言へない事

http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-13.html 既に自分が何を書いたかまるで忘れてゐるので、復習になつた。 --- 爺氏は、歴史的かなづかひとしての定家かなづかひと契沖のかなづかひが、規範として「作られた」と考へてゐる。けれども、實際…

七鍵氏の態度の惡さだけが印象に殘つた

http://d.hatena.ne.jp/Sucky/20090927/1253982192 http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_27_01 そして、斯う云ふ態度の惡い七鍵氏を支持するのが、矢張り態度の惡いKirokuro。類は友を呼ぶとしか言ひやうがない。

レトリックとは成程便利なものだなあ

Kirokuroが、問題を起した擧句、責任逃れをする爲に「静観する」と言つた事は既に述べた。人のレトリックの揚げ足ばかりを取つてゐたKirokuroが、いざとなると自分はレトリックで逃げる、と云ふ大問題を起してゐる。 人は、言葉を飾るものだと言はれる。けれ…

「日本語學は科學である」事の報告

取敢ずリンクを張る。 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-12.html ・『岩波講座日本語1 日本語と国語学』P236「7日本語研究の歴史(2)--明治以降--」大野晉 ・『岩波講座日本語別巻 日本語研究の周辺』P299「9日本語学はなぜ成立しなかった…

「かなづかひの研究」に對する爺氏の誤解

爺氏は、「かなづかひの研究」とは「既に出來上がつてゐる規範としてのかなづかひを研究する事」だと思つてゐる。 けれども、私は、「文獻を通して日本語の表記の實態を明かにする事」がかなづかひの研究だと言つてゐる。規範を考へる爲の事前のリサーチの事…

シンポジウム日本語(2)日本語の文法(学生社)より

最初の章「文法研究の問題点」で、報告者・宮地裕氏が、主な日本語の文法の研究を纏めてゐる。 はつきり「科學」と言つてゐないが、明かに科學的な研究としての國語學と云ふ觀念があつて、その前提で各研究の特色を纏めてゐる。 山田、松下、橋本、時枝氏以…

多くの研究者が認めてゐる――國語學は科學である

あと、爺氏は今、日本語の本がない環境にあるから何も勉強できない、と開き直つたが、私は今、日本語の本があり過ぎる環境にあるから引用すべき文章を見附けられない、と開き直つて言ひたい。 幾らでも國語學が科學である事を言つてゐる文章は「ある」。爺氏…

主觀に對する學問上の態度

或學問が科學的かさうでないかなんて、感覺で解るだらうと思ふのだが――感覺だからこそ解らないのだらうか。 國語學が扱ふものは、主觀だと爺氏は言ひ、主觀だから科學でないと言ふ。だが、主觀も、觀察對象として客觀性が認められるのなら、客觀的事實だ。 …

本心・意圖を臆測で極附けるのを正當化する爺氏の理論

爺氏は、「自然科學=客觀的」「人文科學=主觀的」と云ふ考へ方の持主だ。 けれども「主觀的」=「主觀的に何でも自分に都合良く決めていい」だと思ひ込んでゐる邊、相當非道い勘違ひをしてゐると言はざるを得ない。 http://blogs.yahoo.co.jp/gahahayoumus…

批判批判のうさん臭さ

Kirokuroや七鍵氏、或はその他の多くの人々が、「他人を批判するのは許されない」「他人を批判するには資格が要る」「他人を批判して良いのは、実績のある人間だけだ」「他人を批判して良いのは、立派な人間だけだ」と主張してゐる。 しかし、私の知る限り、…

ナルシストの粘着・Kirokuroが、偏狹を批判する珍事

粘着のKirokuroが、またトラックバックを打込んで來た。 もちろん、斯う云ふ挑發をすれば私が反論を書く事は目に見えてゐるし、コメントしに行く事も判り切つてゐる筈である。それを敢てまたぞろトラックバックして來た、と云ふ事は、Kirokuroは私に反應して…

Kirokuroの城内氏批判の始末の仕方が御粗末である事

同じ事をぐだぐだ繰返しても何の益もないのであつて、私は粘着ではないからしつこく言ふ事はし度くない。しかも、日本國では、「粘着するのは大變良い事であるけれども、粘着された側が防衞の爲に粘着に附合つて何年も反論をし續けるのは大變惡い事である」…

「ウェブで発言するには実績を持っていなければならない」by 名無しさん

以下はある「名無しさん」の発言である…… ウェブで物を言うには資格が要る。無職に物を言う資格は無い。実社会で実績も無い人間がウェブで発言するなんて、おこがましい事だ。何の実績も無い人間が、偉そうに正しいなんて事を言うな。悔しかったら自分が何を…

現行憲法無效論を攻撃する爺氏の政治的意圖

私は、福田恆存が述べた現行憲法無效論を支持してゐるのであり、完全にその立場に從つてゐる。もし逸脱したところがあるのなら、それは私が行き過ぎた事・間違つた事を言つてゐるか、他の論者の意見を取込んでゐるか、のどちらかだ。私は正しい事を言はうと…

勝ち負けに拘る爺

私は、自分の言つてゐる事が正しいから勝利宣言を出したのだし、「爺」氏その他の人が書込めないやうにしたのは、負け=自分の間違ひを認めないで執拗に書込みを續けた「爺」氏の態度の惡さが理由である。ところが、爺氏は、「勝ち負け」に論點をずらして、…

たかが郵政――政治主義のおぞましさ

Kirokuroがしなければいいのに、人を煽るだけの目的の記事を書いて、トラックバックを打込んで呉れたから、それに應じて私もKirokuroの「ブログ」にいろいろ書込んで來たのだけれども、一晩で飽きてしまつたので今夜は半分投げやりになつて、幾つかコメント…

「経験科学としての言語学」

例のG氏問題のつづき……。 http://ja.wikipedia.org/wiki/理論言語学 広義には仮説検証法による言語の研究はすべて理論言語学ということができ、文献学的伝統や哲学的伝統などの中にしばしばこれに相当する研究を見出すことができるが、生成言語学を指すのが…

ID入力欄にフォーカスを合わせるようなウェブサービス

http://twitter.com/youzaka/statuses/4031057977 よく、onloadかなんかでID入力欄にフォーカスを合わせるようなウェブサービスがあるけど、すでにIDを入力し終えてパスワードを打ってるのに強制的にフォーカスをIDにあわせなおしてパスワードの一部を画面に…

Kirokuro氏の矛盾――政治か、道徳か

Kirokuroは、政治的信條が異るからと云ふだけの理由で、他人を攻撃してゐる。 Kirokuroは、小林よしのりを叩いてゐる。その際に、もつともらしい理由をつけて、小林氏が如何に不誠實であるかを述べてゐる。 http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/193.html け…

中村保男『絶對の探究 福田恆存の軌跡』(麗澤大學出版會)より

實を言ふと福田恆存の著作をまともに讀んだのは最う十年以上も前になる。大學在學中から讀み始めて、卒業して何年かの間――福田さんの著作を購ふ度に讀んでは感嘆してゐた。 が、既に何年も經過して、私の記憶力が大變弱いものであるのは、多くの人の知る通り…

内容と態度の混同

「価値観を客観的に論ずるのは不可能だ、なぜなら価値観は主観的だからだ」——斯う云ふ割切つた事を言ふ理系の人がゐるのだけれども、これが間違ひである事を我々人文科学系の人間は全員知つてゐる(本来ならさうである)。 この種の「単純明快な理屈」は反論が…

私もKirokuroさんから出入り禁止にされてゐます(わらひ)

最う濟んだ話だと思つてゐたのだけれども……。 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/indignant1.html http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-8.html 前にKirokuroが喜六郎と名乘つてゐた頃、彼だか彼女だかの「ブログ」にコメントを書…

宗教學における四つの分野

岸本英夫が、「人間の信仰に基づく生活行動を対象とする学問」即ち宗教学を、四つの分野に分類してゐる。 それは―― ・神学 ・宗教哲学 ・宗教史学 ・狭義の宗教学 ――の四つである。 神学は「特定の信仰を持つ研究者が、自己の帰属する信仰を、主として護教目…