闇黒日記?

にゃもち大いに語る

素人だからこそ無謀な事をやるんだよ


無謀な奴 投稿者:喜六郎@管理者 投稿日:2008年 5月26日(月)00時38分1秒   返信・引用
ノザキ君は統帥権干犯問題を知らなかったんでしょう。
知ってれば「軍国主義者が明治憲法を蔑ろにした」なんて書くわけないんだから。
統帥権干犯問題なんて専門的知識でもなんでもなくて、近現代史を扱った書物には必ず載ってる。

專門家の喜六郎が言つてゐるんだからそれが正しいんだらう。

ところが、ならば、かの軍國主義者でさへ「法の支配」を肯定してゐる事になる。ならば「法の支配」と云ふ事は極めて重要だ、と云ふ俺の主張の根幹の部分はより正しい事になる。

喜六郎先生は、俺の發言の、個別の問題に關してはとても委しく批判して呉れる。ところが、喜六郎先生御自身は、なぜか、自分が憲法に對して、どのやうな考へを持つてゐるか、「日本国憲法」を認めるのか何うか、と云ふ事を、徹底して秘匿し、その邊の論理を絶對に示さないでゐる。それが卑怯だ。

(無題) 投稿者:名無し 投稿日:2008年 5月26日(月)01時46分13秒   返信・引用
専門家でない彼にそれを求めるのは酷かもしれない。しかし軍部のみならず戦前の、とりわけ昭和初年から太平洋戦争に突入し、敗戦に至るまでの天皇重臣、政治家、官僚は、いずれも概ね大日本帝国憲法の枠内で行動していた。統帥権干犯問題天皇機関説批判→国体明徴運動→新体制成立…の流れも、帝国憲法を蔑ろにするどころか、それを尊重する方向で実行されていった。五・一五事件で政党内閣は終焉したが、それすら憲法違反などではなかった。敗戦後に現行憲法無効説を主張した井上孚麿などは、上述の流れを帝国憲法の「聖旨」の然らしむるところと肯定していた。「戦前の軍や軍国主義者の暴走が日本を戦争に突入させた」式の固定観念は、そろそろ根底から覆されなければならないな。

なるほど。俺は素人だから專門家の知識には屈服する。

だが、戰前、そこまでして守られた大日本帝國憲法ならば、戰後も當然、守らなければならない――それが道理ではないのか。


俺が不思議で不思議でならない事は、斯くも個別の問題では知識が豊富な專門家諸氏が、なぜかそれらを綜合して判斷する事を決してしない、或は、結論を最初に決めておいて、綜合的な判斷をその決めておいた結論に合せようとしてしまふ事だ。
今の「專門」の領域では、個別の問題を純粹に客觀的な立場から調べる事が行はれてゐるけれども、それらを綜合して判斷する事は忌避されてゐる。歴史學でも、個別の細かい問題に深く入り込んで行く事こそが專門家のすべき事で、通史を書く事・概説を書く事は輕蔑される。憲法學の領域でも似たやうなものらしく、全體として「日本国憲法」が正當化し得ないものである事は、常識が判斷出來る事なのに、專門家は批判しようとしない。だから俺みたいな素人が無謀にも取組んで、專門家から知識の不足を指摘される訣だけれども――しかし俺にしてみれば、俺に知識が不足してゐれば、專門家はそれを補ふべきだ。何で俺を非難し、憎むんだらう。
日本国憲法は無效である」と俺が言ふと、專門家の某氏は「最初に結論を極附けてゐる」と非難した。が、非難する事がそれ自體として價値觀の表明であり、客觀的に個別の問題を見る事が仕事の專門家にとつて、してはならない事だ。喜六郎のやうな粘着のがはに附く、と云ふ行爲それ自體が、公正を缺いてをり、專門家としてやつてはならない事である。それが專門家の某氏には理解できないらしいが、それでゐて知識は豊富であるらしい。知識だけ持つてゐてもしやうがない實例である。人の事を好きだ嫌ひだと言ふのなら、彼は、自分が「日本国憲法」を「支持する」のか「しない」のか、はつきり言明すべきだ。喜六郎ともども、自分の立場を表明しない、鄙劣な人間である。

投稿者:一読者
2008/5/23 19:42
>、「專門家」氏は「日本国憲法は正しい」など言ってるのではなく、単に「明治憲法も現行憲法も法的な手続きで制定されたのではない」と言っているに過ぎないのである。

同感ですね。しかも、この専門家氏はそれがいいこととか悪いこととも言っていない。ただ状況を分析しているだけですね。

ところで、たとえ「民主的」でなくても「一度決めた事」を変えてはいけないと説く野嵜氏は、徳川幕府の出したお触れなどをどう考えているのか。あれは明治政府が武力を背景として幕府から権力を奪取したことにより無効になったのではないのか。近代法でないから無効にしてもいいというのなら、その理由を聞きたいね。

喜六郎の粘着仲間の中でも最惡の性格を持つ「一読者」を名乘る人物の發言。彼は、「この専門家氏」が「それがいいこととか悪いこととも言っていない。ただ状況を分析しているだけで」ある事を全面的に肯定してゐる。ところが、それこそ許されない事だ。なぜ許されない事をしてゐる專門家氏を、「一読者」は禮讚するのだらう。同じ粘着の仲間だからである。


俺は無知な素人であり、そもそも憲法の各論になんて全く興味が無い――憲法なんて全く餘所の世界の事柄で、俺には身近な問題として捉へる事が出來ないから、必死になつて論じても空しいだけでしかない。「しても仕方がない」と思つてゐる論爭に、過去の經緯で首を突込んでゐるだけから、ちつとも面白くない。
知識がない上に情熱もないから、まじめに調べる氣にもなれないで、だから間違ひだらけの事を言つて、ただただ墓穴を掘るだけなのだが、原則論から言へば、「日本国憲法」は、絶對に認められないものであり、無效である事は間違ひない。もちろん、福田氏の主張は、常に本質論であり、間違つてゐる筈はない。「現行憲法無效論」は、細かい議論の餘地があるだけで、本質的に正しい。その「細かい議論の餘地」に俺は興味が無いし、原則として正しい・本質的に正しいなら、それを信ずるのが俺の立場だから、知識が無くても全然恥ぢる積りもないが、しかし、原則とか本質とかに興味が無くてただただ各論で人の言つてゐる事を非難し、嘲るだけの人を見てゐると悔しくて悔しくて仕方がない。なんで本質的に考へられない人間に馬鹿にされなければならないんだらう。巧く説明出來ないだけで、結論は正しいのに。

――と書くと、最う俺は明かにトンデモさんだ。だから粘着の人たちは俺を馬鹿にするのであり、心理的に彼等のやつてゐる事は正しい。
だから俺も必死に調べて言つてゐるのだけれども、最う面倒になつた。誰も興味を持つて呉れないみたいだし。塗炭さんがあつちで擁護して呉れたけれども、最ういいよ、喜六郎先生は正しいんだよ。

ただ、喜六郎先生の思想を、俺は一度も聞いた事がないんだ。俺の負けだから勝利宣言でも何でも喜六郎先生とその御仲間は出せば良い。
ただ、最後に希望を言はせて貰ひたい。喜六郎先生は、憲法について、基本的に何んな考へを持つてゐるのだらう。それから必然的に下される「日本国憲法」と大日本帝國憲法に就いての評價は何んなものなのだらう。「一読者」や「哲学徒」或は「Smoking Clean」は、何う考へてゐるのだらう。
粘着諸氏は、それをはつきり言つて呉れないだらうか。それが納得出來るものなら受容れる。嘲笑だけなら猿でも出來るんだから(本當か何うかは知らない)、人間なら人間らしく、自分の意見を言つて呉れ。

憲法はどのやうにあるべきなのか、その點から言つて「日本国憲法」は「正しい」のか「正しくない」のか――俺は粘着諸氏がその邊の論理を一度も明言しなかつたのを殘念に思つてゐる。福田氏は「古い」とか言はれたけれども、具體的に何處が何う古くなつてゐるのかとか、その邊も曖昧にごまかされてしまつたし。


ちなみに、既に半世紀以上「日本国憲法」が使はれてゐるから有效、とか云つた愚かしい主張を聞かなかつたのは、彼らも解つてゐるのだらう。正統のものならば、何年經たうが何世紀經たうが、復活すべきものだからだ。この事を否定する論理は存在しないから、頭の良い專門家諸氏も非難しなかつた訣だ。