闇黒日記?

にゃもち大いに語る

人を憎んで罪を憎まず???

「叩かれるやうな事を言つた人を叩くのは惡い事で、他人を叩いてゐる人を叩くのは良い事だ」と、本氣で信じてゐる人がゐる。

「叩かれる覺悟の無い人を叩くのは惡い事だ。他人を叩いてゐる人は叩かれる覺悟があるんだろ、なら叩いてやるよ」――斯う云ふ妙な<精神論>で何でもかんでも考へる人は、粘着アンチになり易い。
批判は「その人に批判される覺悟があるからする」と云ふものではない。批判されるべき客觀的な理由があるから現れる。ところが、何でもかんでも主觀的な理由にすり替へて、批判者を攻撃する理由に故事つける人がゐる。これが許されるならば、何んな無法でもあり得る事になつてしまふ。

多くの日本人はまだ言論の自由を理解してゐないから、<批判>とは何なのか、と云ふ事も理解してゐない。だから批判と云ふ行爲の意義を考へる事が出來ず、無闇矢鱈と暴力をふるつてゐるかのやうに感じてしまふし、「毆られたら毆りかへす」と云ふ「論理」で批判を封じ込めるのを當り前だと思つてしまふ。
批判や批評が公的な行爲であるのを理解出來ない人が、それらを私刑だと勘違ひして「やめろ」と叫び、暴力的に封じ込めようとしてしまふ。

苛めつ子にも頭のいい人間がゐるから、批判を暴力的に封殺するにも尤もらしい理窟を故事つける――「これも批判だ!」と言張るのである。
<批判とは何か>。みんなもつとよく考へるべきだ。