闇黒日記?

にゃもち大いに語る

阿Q正傳

我が親愛なるKirokuroくんが難解をもつて知られる阿Q正傳を「讀んだ」「讀んだ」と嬉しさうに言つてゐたのは既に數年前の事である。Kirokuroくんによれば阿Qから野嵜を想起したとの事であるが、それならば僕は阿Qに縁があるのである。しばらく忘れてゐたが、さう言へば……と手持ちの阿Q正傳の在處を思ひ出したので、手に取つてみた。

僕は中學生の時に讀書感想文の指定圖書だつたので當時旺文社文庫で讀んだのである。それ以來だから數十年ぶりの再讀と云ふ事になる。旺文社文庫は註釋が豐富で解説も懇切叮嚀であるのが特色の文庫だつた。學習參考書・受驗指導で定評のあつた旺文社が出した文庫だから、生徒向けに特化した作りになつてゐたのである。ロマン・ロランが阿Q正傳を絶讃し、阿Qの死に泣いたさうである。名前も書けない阿Qが書類に◯をつけて罪を認めた事にさせられるのだから、まあ、氣の毒な話である。

高杉一郎が文章を寄せてゐて、解説と同じやうに、阿Q正傳が支那人の奴隷根性を描いたものである事を指摘してゐた。解説によれば、發表當時、多くの讀者が自分を中傷されたものと思ひ込んで怒つたさうである。高杉氏は、マルクス主義者が盛に轉向し、保守政治家に從つて行く樣を語つてゐた。日本にも奴隷根性を持つた人間が澤山ゐた――「阿Q時代」と云ふ言ひ方を高杉氏は用ゐてゐる。高杉氏はシベリア抑留を體驗し、その時の樣子を綴つた『極光のかげに』で知られる。シベリア抑留の間にも、發表後にも、隨分いやな目に遭つたさうである。

僕自身は、なるほどなあ、「阿Qとは野嵜の事を言つてゐるのだ」と考へても、をかしくはないなあ、と思つた。

しかしながら、阿Q正傳を讀む際には氣をつけねばならない事がある。作者・魯迅は、支那のゴオゴリと呼ばれ、マルクス主義と淺からぬ因縁を持つてゐる。石川啄木が社會主義と深いかかはりを持ちながら人々を描寫したやうに、魯迅もまたマルクス主義と強い結び附きを持ちながら人々を描寫した。ここに渠等の文學の「難しさ」がある。中學生當時、僕は阿Q正傳を理解しなかつた。見た目の印象で「理解」する事が可能であるから、却つてマルクス主義文藝は解り難い。Kirokuroくんがそこまで理解して、僕を野Qと呼んで呉れてゐるのなら、見事である。阿Qを揄ふ周圍の人々とKirokuroくんが「そつくり」でも、僕は自分の印象をそのまま受容れるわけには行かない。阿Qを輕蔑する旦那衆にも、泣いてゐる人がゐるのである。阿Qを揄ふ人々の側にも、奴隷根性やら何やらの缺點は依然として存在してゐた。のみならず、無知の人をとつつかまへて、書類に◯を書かせて、罪人にする人もゐた。魯迅が如何なる意圖でこの小説を書いたか。「寫生」でないのは言ふまでもないが、單なる「社會諷刺」でもないのである。政治的な寓話として捉へておくのが良いだらう。さうなると――實はこの小説、僕の興味を外れてくるところがあるのである。

魯迅は阿Q正傳を氣樂に書き始めたが、次第に眞面目になつたさうである。一方、結末は無理やりにつけたものであるらしい。