闇黒日記?

にゃもち大いに語る

ウィキペディアで誰も氣にしない偏向記事の事

araiが昭和天皇を貶めてゐるのを見て、改めてぐぐつてみたのだが、ウェブでは恐ろしい記述が罷り通つてゐる事に氣附いた。


特攻には批判的であったとされる。特攻第一号の報告がもたらされた際には「馬鹿なことを…だが、よくやった」と言ったとされ、国家元首としての冷厳な一面ものぞかせている。

自稱公正で中立なウィキペディアン達だが、此の恐るべき記述を公正で中立なものと看做して全く問題にしようともしない。しかし、これ程非道い解釋を、ウィキペディアンが一人として問題視しようとしないのは異常な事だ。

彼等は「よくやった」を「よくやった!」と解釋してゐる。こんな解釋が成立ちはしないに決つてゐるのだが、「国家元首としての冷厳な一面」と解釋すると「成立つ」と、全てのウィキペディアンは考へてしまふらしい。昭和天皇はそんな非人間的な人間ではなかつた。優れた君主は常に人間的である。そして昭和天皇は優れた君主であつた。
ただ、昭和天皇の話ぶりを覺えてゐる人ならすぐに理解出來ようが、昭和天皇は口下手だつた。假に口下手が缺點であるとしたら、昭和天皇の缺點は口下手である事だつた。だから、このやうな話の斷片が傳はると、良いやうに利用されてしまふ。これは、公正かつ中立の立場から、適正に判斷し、正しく解釋しなければならない。でなければ、昭和天皇が可哀想である。

昭和天皇は、端から大東亞戰爭で日本が勝てるとは思つてゐなかつた。戰爭が始まつて、それでもやはり自分の國なのだから、敗けると解つてゐてもより増しな戰ひをするやう、努力するのは當り前の話。だが、特攻等と云ふ事をやり始めては、最早まともな戰爭の状態ではあり得ない。天皇は、特攻のやうな事をやつてまで「勝ちに行く」――と言ふより、そんなにしてまで戰爭を續けようとする事を、決して好ましく思つてゐなかつた。好ましい好ましくないどころではない、特攻等馬鹿な事だ、そんな事をしても勝てる訣はない。「勝つ」と云ふ戰爭の目的から言へば、やつても仕方の無い事だ。それでも「作戰」として特攻は實行された。
特攻隊員が死んだのである。天皇はその報告を聞いた。その死は決して戰局の大勢に影響を與へるではない。天皇はその事を重々承知してゐた。だから苦々しく呟いたのである。「馬鹿な事」だと。だが、「馬鹿な事」であつても、人が命を懸ける事は立派な行爲である。特攻が命懸けの行爲である事を、全ての人が肯定しよう。昭和天皇も人だから、その事は良く解つてゐた。
何より、臣民が自國を守る爲に死んだのだ。天皇が辛く思はない訣がない。だから言つたのである、「よくやつた……」と。飽くまでこの「よくやつた」は、死んで行つた特攻隊員の勇氣と覺悟を禮讚した言葉である。これを「国家元首として」等と冷たい事を書く奴は――昭和天皇と違つて、殆ど冷血人間である。ところが、この冷血的な解釋を、全てのウィキペディアンは「公正だ」「中立だ」と言つて、全く氣にしないのである。

もちろん、ウィキペディアンが全て非道い人間だなどと言ふ積りはない。まともな日本人なら、ウィキペディアの、殊にトラブルになりさうな記事に、手を觸れようとしないのは「當り前」なのだらう。だが、それだけに、この種の非道い解釋が罷り通り、昭和天皇を貶めようとする連中に記事が良いやうに利用されるやうになるのは、堪らなく嫌な事である。
何しろウィキペディアは「公正」「中立」を自稱してゐるのである、此れほど危險な事はない。その「公正」「中立」なウィキペディアの記事に、非道い偏向した解釋が當り前のやうに書かれてゐる。ウィキペディアは、それ自體として「公正」だの「中立」だのと言ふべきでない。ただ、書込む人間に、公正で中立な書き方をするやう推奬するだけである、と云ふ事を強調すべきだ。實際に、書かれた記事が公正で中立か何うかは、議論の餘地がある。
そして、ウィキペディアは、「永遠」に誰かが書込み續けるのだから、「永遠」に議論の餘地が殘るウェブコンテンツである。この事を無視して、「ウィキペディアは割と中立的である」等と言つてみてもしやうがない。