闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「僞」と云ふ事――この一年に限らず

今年の世相を表はす漢字が「僞」であつたと云ふのは個人的には全くもつてその通りで、「僞野嵜」が跳梁跋扈して呉れた年だつた事は言ふまでもなく、恐らくは來年も引續き僞者氏の嫌がらせが續くものと思はれる。Yahoo!ブログには現在も「僞野嵜」のブログがあつて、そのせゐでこの使ひづらいYahoo!のサーヴィスを使つて「公式ブログ」なんぞをでつち上げておかねばならない訣だが、例によつてYahoo!は「僞野嵜」が匿名であるがゆゑにその「權利」を斷乎として守る方針らしく、本物の權利を本物が實名であるがゆゑに守らうとしない。

世間では僞者を糺彈するのが大流行だが、さうした世間を冷やかな眼で眺め嘲笑するのが一般的なウェブではひたすら僞者を擁護し、中には崇め奉る人すら存在する。ウェブは異常な世界であり、其の異常な世界の異常な常識は、今や實社會にまで影響を與へつゝあるが、その實社會もまた常識は半死半生なのであつて、だからこそ實社會の側からウェブの異常な常識を批判する強力な言論は生まれ得ない。このやうな状況で良いのかと言へば絶對に良くないのだが、しかしさう云ふ事を今の異常なウェブで幾ら言つてもこれまた絶對に通用しない。要は八方塞がりの状況があつて、現代社會は最早袋小路に這入りつゝあるのだが、しかし一方で人は社會が消滅しない限り何とかやつて行くものであつて、それで何時までも中途半端で駄目な状況は相對的に良くなつたり惡くなつたりしつゝ繼續して行く。
が、だからと言つて、より良くなるやう努力するのをしないでゐる事は、あつて良い事か何うか、常に反省せられねばならない。

今の、ウェブのみならず、日本では一般に、現状を肯定し、それ以上になるやう努力する事を「現状の否定」と極附ける傾向が極めて強い。兔に角一度決つた事は「決つた事なのだから」と言つて何とかして正當化し、現状維持しなければならないと、ほぼ全ての日本人が考へる。日本人にとつて正義とは、理想を求める事ではなく、現状を維持する事に外ならない。が、それは果して本當の正義か。
「一度決つた事なら」と云ふ日本人の發想は、一見繼續的だが、しかし「新しく決つた事」が出現すると即座にそれに順應するのであり、「革命」の前に驚くべき繼續性のなさを露呈する。これは日本人が義理堅いやうでゐて約束を守らない實に輕薄な人種である事を意味するのだが、その輕薄さは、僞者を生み出す原因であり、僞者を維持する原因である。そして、僞者の僞者たる所以は、何時かばれるところにあるのだが、ばれた途端に周圍の人間が掌を返したやうにとんでもなく居丈高になつて僞者を罵り始める――が、自分逹だつて僞者と同じ「現状維持主義者」であつて、たまたま自分の僞者性を露呈しないで濟んでゐるだけでないのか。

だが、現實の社會では、僞者が僞者であるとだけ判明すれば、問題は全て解決するのである。ウェブでは僞者が「誰であるか」が判明しなければ問題は解決しないし、その問題を「解決しないやうにすべきである」と主張するYahoo!のやうな極めて強大な勢力が巣食つてゐるのである。ウェブは匿名の爲に強大化し、一方、匿名の所爲で惡意の空間と化してゐる。ひたすら匿名の效能だけを説き續けるウェブ原理主義者は大變多いが、彼等は匿名の暗部を隱蔽し、匿名の害惡を矮小化する傾向がある。ウェブは現實社會の僞者と化しつゝある。