闇黒日記?

にゃもち大いに語る

國つて何なのよ

喜なんとか氏が國益國益言つてゐたのだけれども、では聞きたいけれども國つて何よ。何でまた國として益を得なければならん訣。
喜氏は最う俺の事は完全無視するらしいから答は聞けないらしいけれども、まあ、無視宣言して呉れる以前でもこんな質問に答へられる訣がないからやつぱり無視して呉れた事だらう。喜氏でなくても、大體、日本で國益の事を當り前のやうな顔をして論じてゐる多くの人が、改まつて聞かれても、返答する事は出來ないのでないか。改めて訊ねる。

我々日本人は、なぜ日本と云ふ國を作つてやつてゐるのか。

――こんな質問をすると、そもそも質問をするのは電波であり××××である、とか「義」(俺に五年以上粘着して呉れてゐる人の通稱)邊が騷ぎ立てるのでないかと思ふ。
例へば、の話だ。「義」が元國營企業か何處かに勤めてゐる。俺が無職である。國として益があつた。「義」は、得をするのだな。俺は得しない。そもそも無職を有職の「義」は輕蔑してゐて人間扱ひしてゐない。さて、こんな「義」と俺が、何うして一つの日本と云ふ國を一緒になつて作らなければならんのか。何うして日本と云ふ國全體として國益を求めねばならんのか。「義」の同類の人々は勿論、それ以外の全ての人が、恐らくは今の今まで一度もそんな事、考へた事はなかつただらう。

實に日本國と云ふ存在は、「なぜか、ある」だけなのだ。アメリカ合衆國は自由と云ふ理念の下に國民が結集してゐる。然るに日本人は何の理念の下にでもなく、ただ傳統を基に寄り集まつてゐる。「それで良い」と、恐らく「國益」を強調する人々は言ふ。
けれども、歴史的に何うなのだらう、傳統にのみよりかかつた古い國は、多くの場合、内部から腐敗し、文明を崩潰させて來た。ローマを見よ。イギリスを見よ。ローマの場合、キリスト教によつて再生の機會を得たのだが、キリスト教は中世、世俗化し、腐敗して、再びルネッサンスを經てプロテスタントの下で再生を經ねばならなくなつた。

我々は價値觀を全く氣にしない。けれども、結局のところ、世俗化し、惰性で存續するのみの文明は常に腐敗し、崩潰するのである。その徴候は既にある。さうした文明は再生を經る事によつてのみ存續し得るのだが、それには文明が存續すべき價値の再生が必要である。然るに、日本に價値は存在するのか。

書きかけ。