闇黒日記?

にゃもち大いに語る

人文科學とは

人文科學は何の爲に存在するのかと自然科學の人が疑問をいだいた。疑問をいだいたと言ふのは、要は答へろと要求が出た訣だ。
さて藝術なり何なりに關係する人間の側から言へば、その質問がそれ自體として科學の立場からのものであつて我々の側の發想と異る。

我々の側からは、斯く言ふべきだ。
藝術は、或は哲學は、人間が生きてゐる事實をまざまざと實感する爲に存在する。

主觀とか客觀とか、そんな言葉で抽象的に説明するのが科學のやり方で、それは一面で極めて有益だ。しかし、同時に、それは科學が「死んだ學問」である事を意味する。世界にはシステムが存在するのであり、その中の齒車のひとつとして人間が存在するに過ぎない。
パスカルに據ればデカルトは神を必要としたくなかつたさうだが、俺にしてみれば、科學は人間を必要としないのだ。人間は自然界に必然的に存在すべきものとは言へない。そんな状況下で我々人間が自らの立場を主張する、それが藝術であると。

自然科學・社會科學・人文科學と言つて分類してゐるけれども、それは大學なんかの都合で、嚴密には人文科學なんて出たら目な表現はあり得ない。