闇黒日記?

にゃもち大いに語る

規制なんて一度してしまへば既成事實なのだから


例によつて政府のする事が「拙速」その他の批判を受け、國民の權利が制限される事を懸念する聲があがつてゐるさうだ。
けれども、何うせ反對の爲の反對だらう、それも平和な時の暇潰しに過ぎないと、俺は思つてゐる。

我々日本人は既に半世紀前、重大な權利の制限――思想統制言論統制と言つていい――を受け、それを批判もせず、逆に嬉々として受容れて來た。現在に至つても、その制限は大變に良い事と言はれ、極めて高く評價されてゐる。その規制は、撤廢せよと主張すると、却つて××××扱ひされ、無視して行動すると「やめろ」と言はれる。
言ふまでもなく、漢字制限と略式假名遣の強制だ。敗戰後のどさくさ紛れに實施された政策だが、いつたん實施されたからには最う誰も反對しないし、した方が惡い事にされてしまふ。日本では、當座、お上のしようとしてゐる事は非難するけれども、一度決つた事は最う反對しては行けないし、それでも反對したらした方が惡人と極附けられて排斥される――さう云ふ「傳統」がある。
ならば、「児童ポルノ法」でも「有害情報の規制」でも、決めてしまへば最う日本人はそれが正義だと信ずるのであつて、今反對してゐる人も法案が通れば即座に態度を正反對に改める。何うせさうに決つてゐる。エロゲの某氏(かその騙りの人)だつて、今は俺を侮辱して好い氣になつてゐるけれども、法案が通れば直ぐに政府の側に附く事だらう。人權とか聲高に言つてゐる連中を俺は信用しない。笑ひ。
政府の人はさう云ふ事を全然意識してゐないけれども、安心して各種制限の強化を進めれば良い。一度決めれば最う既成事實だ。


國字改革の結果が「大人も含めた国民の「表現の自由」と「知る権利」を阻害する恐れ」に繋がらないと積極的に主張する人が、この手の規制を一生懸命非難してゐるんだぜ。