闇黒日記?

にゃもち大いに語る

憲法に對する二つの立場

憲法の概念を認める
大日本帝國憲法を認める→「日本国憲法」は認められない

憲法の概念を認めない
大日本帝國憲法を認められない
→「日本国憲法」も認められない

このどちらかの立場しか原理的にはあり得ない。
日本国憲法」を正當化する論理はあり得ない。

日本国憲法」を正當化してゐる人は、憲法それ自體を論ずるのでなく、憲法以外の話を憲法の議論に持込んでゐる。即ち、すり替へである。


自稱法律の專門家氏が、「日本国憲法」の出自が問題であるのに、殊さら大日本帝國憲法の出自を問題にした事がある――これもまた、話のすり替へである。

大日本帝國憲法の出自を問題にすべき理由はない。それ自體が新しく作られた憲法だからだ。
●「日本国憲法」の出自は問題である。大日本帝國憲法が既にあつたからだ。

俺は憲法の「出自」を問題にはしてゐない。だから憲法の「出自」を問題にして俺を攻撃してゐる人々は全員話をすり替へてゐる。
大日本帝国憲法から「日本国憲法」への「移行」(「改正」でも何でも用語は何うでもいい)を、俺は問題にしてゐる。
だから、それ以外の觀點からの非難・攻撃は全て話のすり替へである。はじめに「日本国憲法は正しい」と云ふ結論を極附けて、それを尤もらしく見せかける爲に、パフォーマンスとして行ふ「論證」をしてゐるに過ぎない。

大日本帝國憲法は、改正可能だが、改正可能な範圍があるし、改正が許される條件がある。「日本国憲法」への「改正」は、改正可能な範圍を逸脱してゐるし、改正されてよい条件下で改正されたものではない。だから、大日本帝國憲法から「日本国憲法」への「改正」は、あり得ないし、許されない。
さう云ふ論理で、俺は「日本国憲法」は無效だ、と言つてゐる。

俺は、人間は信頼出來ないものだと思つてゐるから、約束で人間を縛る事は必要だと信じてゐる。だからこそ、一度取交はした約束は、安易に廢棄したり改めたりしてはならないと考へる。最初に行はれた契約は、それが如何に問題のある内容であれ、適切な形で更新するのでない限り、何時までも有效でなければならないし、有效だと認めなければならない。問題があるなら、勝手に約束を破毀して自分に都合の良いものを新しく決めるのでなく、適切な形で内容を改めなければならない。さうでなければ、「今自分に都合の良い約束」も、勝手に破毀され都合の惡いものにされてしまふ可能性があるからだ。適切な形で更新された約束なら、相手が破らうとした時にも、それを根據に強く抗議する事が出來る。
俺は、人間は信頼出來ないと思つてゐるから、約束を破らうとする人間が出てくるのは必定だと思つてゐる。その時、いくら内容が良くても、こちらが勝手に前の約束を破つて作つた新しい約束が「手持ちの駒」であつたならば、相手の裏切りを責める根據には使へない。それでは困る。

憲法の改正が重要であるゆゑんである。