闇黒日記?

にゃもち大いに語る

自分の立場を明かにしない人とは話し辛い

喜六郎なんかと話し辛いのは、彼らがひたすら俺の知識だけを問題にするから。そんなのを問題にしても仕方がないのに。なんで一々無知な素人の知識を問題視するんだらう。

彼らは、自分の立場を決して明かにしない。それは大變な問題なのだが、彼等には自覺がない。なぜか。客觀的である事は良い事だと心から信じてゐるからだ。しかし、自分は客觀的である、と言つて、ひたすら他人の言ふ事の粗を探すのは、寧ろ傲慢だ。人間は一人の例外もナシに價値觀を持つ。全ての人間の考へる事は主觀的だ。それなのに、自分は客觀的である、と考へ、さう行動してゐるかのやうに信ずるのは、傲慢である。喜六郎らは全員一人の例外もナシに傲慢である。

自分に立場がある事を自覺し、はつきりそれを言ふ事は、寧ろ公正なやり方だ。だから俺は、初めに結論を示し、それを論證しようとする。と言ふより、何んな學説でも、最初に假説を立てて、その結論になるか何うかを檢討して行く。それが當り前のやり方だ。俺は當り前の事をしたに過ぎない。
それが氣に食はないと言ふのだから、專門家を自稱する喜六郎ら粘着の考へはをかしい。

全ての議論では、結論を最初に言ふものだ。それを言はなければ、自分は傷を負はずに、幾らでも他人をやつつける事が出來る。それは卑怯な事だ。それが卑怯だとわからないのは、自己中心的だからだ。
匿名匿名と言ふけれども、單に名前を出さないだけなら匿名でも何でもない。自分の立場があるのならば、名前が出てゐなくても、その論者は人格を持つてゐる。
自分の立場をはつきりさせないで、恰も純粹に客觀的な立場をとつてゐるかのやうに振舞ふ――さう云ふ論者こそ問題だ。名前を出してゐようとも、その人は寧ろ「匿名の立場」に立籠つてゐると言ふ事が出來る。