闇黒日記?

にゃもち大いに語る

身内には甘い喜六郎

アウトサイダーが正統であるのが日本である」とうそぶく文學徒こと前田嘉則が「ブログ」で現代演劇協会のウェブサイトのテキストをコピー&ペーストして、出典を示さなかつた問題を先月「本家」闇黒日記でとりあげた。(平成二十年十月十三日)
http://noz.hp.infoseek.co.jp/diary/20081001.html
この時、俺は嫌みを言つて「前田氏が出版したのかと勘違ひした。」と書いた。ところがこれが前田にはお気に召さなかつたらしい。

http://logos.blogzine.jp/1/2008/11/post_226f.html
福田恆存の戯曲集の案内をしたところ、「前田が編集したと勘違ひした」と、そんな「勘違ひ」など絶対するはずないのに、くさされたのが不愉快でしたので、今回はその事情を説明したうへで告知します。

当然の事ながら、俺の言ひたかった事は「なんで出典すらも明記しないんだらう。」といふ事だ。
と言ふかリンク張ればいいだけの話なのに何でテキストパクるんだよ。
常識がある評論家なら、出典を示すのは当り前の事だ。「くさされた」のも当然の事でしかない。
しかし前田は、例によつて出典を示さず、こちらの批判の眼目をわざとずらして「くさされた」事に恨み言を言つた。いかにも前田らしいやり口だ。

かういふ時には当然のやうに喜六郎がしやしやり出て来る。前田の記事にコメントをつけて、こちらの悪口を言つて見せる。

意外と本当に勘違いしたのかも知れませんよ。
アイツは本当に読解力ないから。

投稿 喜六郎 | 2008.11.05 08:36 午後

喜六郎はいつも、俺の「甘さ」を非難するのだが、前田の甘さはとがめない。「他人には厳しく、身内には甘く」がモットーの喜六郎らしい言動だが、喜六郎は俺が批判しても、批判したのが俺だから、全く反省しない。
そもそもこのやうなダブルスタンダードな態度を喜六郎が平然ととれるのは、俺を個人攻撃するのが喜六郎の目的だからだ。
喜六郎が前田に接近するのも、俺を攻撃するのに前田は「使へる」と踏んだからでしかない。今回も、かはいさうに、前田は利用されてしまつたのだ。ところが前田は気付かない。

あきれた事に、喜六郎の悪口を前田は嬉しがつて、こんなコメントを返してゐる。
}}}:
さうかもしれませんね。虚心坦懐といふことを知らずに、先入観でものを見る、それが批評だと思つてゐるやうです。

投稿 前田嘉則 | 2008.11.05 10:32 午後
}}}
あーあ。「虚心坦懐」に俺の批判を読めないで、「くさされた」などと恨み言を言つたのは誰でしたかね。

前田といふ人は、今や、批評家としての資格を持たない、単なる粘着アンチの一人に成下がつてしまつた。喜六郎とつるめるのも、同じ粘着気質が「ある」からだ。類は友を呼ぶ。喜六郎が「野崎は悪人」「野崎は愚人」といふ「先入観」がある事を前田は全く気にしない。アンチ仲間がアンチ仲間となれ合つて、盛んに気に入らない人間の悪口を言つてゐる。

かういふ連中に目を付けられた人間にとつては、いい迷惑であるとしか言ひやうがないが、連中は自分が正しい事をしてゐる積りだから始末に負へない。前田はいつぱしの批評家気取りだし、喜六郎に煽てられて好い気になつてしまつてゐる。喜六郎も、自分は正しい事を言つてゐる積りだし、だからこそ他人を侮辱して反省もしないで天狗になつてゐられるわけだ。