闇黒日記?

にゃもち大いに語る

なんか適當に野嵜批判つぽい事を書いてみる

 ここのところ喜六郎、「義」などを俎上に載せた粘着アンチ論が続いてゐます。仰ってゐることには1%も異存はないのですが、このやうな論議を長々と続けること自体に違和感を感じます。喜六郎、「義」の言ひ分とそれに対する野嵜の批判は野嵜のウェブサイトや各地のブロガーの「野嵜健秀さんとネットストーカー」などに少なくともそのエッセンスは書かれてをり、今更それを蒸し返して何をされやうとしてゐるのか、よく解りません。過去に野嵜がやったことの二番煎じはあまり意味がないと思ひます。他の読者も同じ気持ではないでせうか。愚生にとっては、野嵜健秀があれだけ理路整然と、かつ心をこめて批評の正当性を訴へたにも拘らず、しかも多くの人が野嵜の言ひ分を正しいと認めたにも拘らず、その努力や思ひが今や粘着の奔流に呑み込まれてしまったことが一番の問題なのです。