闇黒日記?

にゃもち大いに語る

レッテル貼りをして喜ぶ為の材料探しで本を読むKirokuroの愚かさ

最近は全く見に行つてゐないが、またKirokuroがもつともらしい言ひ方をして、人の悪口を言つてゐるらしい。

主人公の阿Qは偉大な人物では全く無く、実力もないくせに自尊心が高く物事を何でも自分の都合の良い方に解釈するどうしようもない男で、最期は強盗犯の濡れ衣を着せられて銃殺されてしまうのである。この作品をひとどおり読んでみて、ふと阿Qって誰かさんにそっくりだなと思った。
誰に似てるのかなとしばらく考えてみて、そう!あの野嵜健秀ではないか!とポンと膝を打った次第。
今後は野嵜の事を「野Q」と呼ぶことにしたい。

このKirokuroのおちゃらけ発言には笑つてしまふが、佐藤さんがKirokuroの文章を引用して、即座に「ぼくも阿Qにそつくりな人間には心當たりがある。」「今後はKirokuroの事を「KiQ」と呼ぶことにしたい。」とコメントしてゐる。

「人は自らを罵倒すべき文句で以て他人を嘲る」ものだが、Kirokuroの例がまさにそれ。佐藤さんの言ふ通りで、KiroQuroこそが思ひ上がつた愚民の典型であるのだけれども、思ひ上がつた愚か者であるから、特定個人を上から目線で見下しては侮辱する粘着行為を何年も何年も続けて、そんな自分の愚かさが少しも分かず、懲りない。
かういふKiroQuroのやうな人間の書く文章は何ら読者を裨益しないから、読む必要はない。人の悪口を言つてゐても何か役に立つやうな事を言つてゐればまだよいのだが、読み手を裨益しないKiroQuroのやうな人間の文章は読んではならない。松岡正剛も大して面白い文章は書いてゐないが、KiroQuroに比べれば読書の参考にはなるから、ずつと増し。佐藤さんも単なるKirokuro批判なんて詰らない事はしてゐない。


阿Q正伝については佐藤さんが書いてをられる通りで、読者はあはれむべき阿Qを「自分自身の事」として読まねば何の意味もない。ところがKirokuroは飽くまで「他人事」として読んでゐる。他人を侮辱する為のネタ探しで読んでゐるからだが、それでは本を読んでもKirokuro自身は全く変化しない。
自分を変化させないなら、本を読んだ事にはならないし、読んでも意味がない。