闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「XML」と「文章の階層構造」のどちらを優先するのか

現在までに「XHTML派」と「ISO-HTML派」の對立と云ふものは存在しない。論爭が「ある」かのやうに宣傳されてゐるが、そんな論爭は存在しない。なぜなら、現在ある「論爭」は、「文書構造が明示されてゐるXML文書はソフトウェア處理で有利である」と云ふ主張と「文章のセクション構造に關する規定がある仕樣でなければ正しいマーク附けと呼ばれるものを説明する事が出來ない」と云ふ主張が、なぜか「對立」として扱はれてゐる「論爭」だからである。兩者は別次元の主張であり、何處にも「對立」がない。

言換へれば、「論爭は完全な平行線を辿つてゐる」。

なぜこんな變な話になつたのかと言へば、「XHTML派」の人が「XMLである事」と「文章のセクション構造を明示する事」とを、恰も不可分の事であるかのやうに言ひ、嚴密にテーマを分離して話をする事を拒絶してゐるからである。別の話をわざと一緒くたにして論ずる事で、彼等は話が自分に都合良く進むやうに仕向けてゐる。
誰が何う見ても「XMLである事」と「文章のセクション構造を明示する事」とは、別の話である。ところが、最う何の原理主義者だかすら解らないが「原理主義者」の人々は、それらは不可分であると信じ切つてゐるのである。
例へば、近藤氏はこれらを分離して考へる事が出來ない。「プログラムでの負荷」の話と「構造化文書らしいマーク附け」の話とを、分離して、一方の事に就いて話さうとしたら、近藤氏は他方の事を「忘れてゐる」と言つて俺を嘲笑つた。
ところが、この二つの事は完全に別次元の事であり、別次元の事は嚴密に區別して檢討しなければならない。これこそ當り前の話なのだが、その當り前が近藤氏には當り前でなく石動氏にも當り前でないのである。何度當り前の話をしても話が通じない。困つた事だ。


XML」と云ふ事と、「文章のセクション構造」と云ふ事とは、それぞれ別に考へる可きである。そして、データを作る上でどちらを重視するかを檢討すべきである。
XMLである」事を優先する、と云ふのと、「文章のセクション構造を意識する」事を重視する、と云ふのでは、「どちらを優先すべきか」の二者擇一の對立になり、議論として成立する。俺は當然の事としてこの二者擇一の議論をしてゐる積りだつた。ところが「XHTML派」の近藤氏は、決してそんな二者擇一が「ある」と認めなかつた。異る次元の事柄が、氏には渾然一體の事柄に思はれてゐたのだ。だが、これでは何うしたつて議論にはならない。對立する項目がないのでは、議論は成立たない。

XMLである事」を優先する、と云ふのならば、例へば最近のWordの文書もXMLであるから「良し」としなければならない。そして、ところがWord文書が相變らずデータとして扱ひ辛いものである事は指摘されてゐる。ならば「XMLである事」はそれ自體として決して意義のある事ではない。
一方、「文章のセクション構造」を重視するならば、我々は一定の形式で文書を作る事になる。ただ、マーク附け言語として、我々はSGMLXMLとを知つてゐて、その中のHTMLかXHTMLを現實には利用してゐる。HTMLにはHTML 4やISO-HTMLといつた仕樣があり、XHTMLにはXHTML 1.0/1.1/Basicといつた仕樣がある。けれども、少くとも、一定の形式で文書が作られてゐるならば、その時點でプログラムによる處理の可能性がある、と云ふ事が言へる。
(XML化された最近の)Word文書にしても、或は出たら目になされたマーク附け――ブラウザで見ばえするやうになされたマーク附け――の「擬似HTML文書」「擬似XHTML文書」にしても、データとして再利用する事は難しい。處理して再利用出來る可能性があるのは、きちんと文章のセクション構造に基づいてマーク附けされた文書である。
ここでXHTMLでは、現在存在する仕樣で、文章のセクション構造を明示するマーク附けの方法は「しなければならない」ものとして規定されてゐない。これが大變重大な事實である事は、XML派の人には受容れ難いやうである。
一方、ISO-HTMLにおいて、文章のセクション構造を基にマーク附けする事は前提として存在してをり、しておくべき事であると言つて良い。ISO-HTMLの文書は、一往それなりに仕樣の示唆するやうにマーク付が行はれれば、それなりに處理される可能性がある。現實に「闇黒日記」の「非ブログ版」は、ちやんと三宅さんのところで再利用が行はれてゐた。

XMLだとプログラム處理の負荷が小さい」――ところでその「處理」とは何んなものなのか。ただ「文書の處理」の可能性だけを考へる。
有益なデータを拾ひ上げ、變形し、再利用する事が出來るのはどんなデータか。その種のデータの成立條件は如何なるものか。「XMLである事」だけが必要なのか。
否。