闇黒日記?

にゃもち大いに語る

そつと基準をすり替へて自分に都合良く話を進めようとする人々


その上で,わざわざ処理が困難なものを選ぶ必要はないでしょうと主張します.まさにおっしゃる通り都合の問題です.しかし,現実に動くコードはXML処理系ばかりで,SGML処理系はあまりありません.だから,動くコードを重視すればISO/IEC 15445よりも定義が曖昧だとしても,XHTMLを採用するのです.

「處理が困難なものだから俺はわざとこれを選んでゐるんだよ」なんて言つてゐる人間が何處にゐると言ふのだらう。そもそも俺は「處理の困難さ」を撰擇の基準にしてゐない。「プログラムの處理」の負荷なんて、そもそも俺の眼中にない。文書の階層構造を仕樣に盛込んでゐて、説明をする時仕樣を根據に持出して説得的に語れるか何うかを重視してゐるだけだ。
XHTMLでは文書の階層構造を「しなければならない」ものとして説得的に語る事が出來ない。
近藤氏にしてもその他の「XHTML原理主義者」のプログラマにしても、「SGMLを選ぶ人間は一人の例外もナシにプログラムに負荷を掛けるのが目的でわざわざSGMLを選んで嫌がらせをしてゐるのだ」と言つて宣傳をしてゐる。當人は自分がプログラマだからプログラム原理主義を主張するのは當然だと信じ切つてゐて、他人が反撥しても何とも思はない。

ISO/IEC 15445を使ってはいけないとは言っていません.できるだけ簡単に文章を処理するのには向いていないというだけです.

寛容な態度を示しつゝ、相手の言論を實質的に封殺しようとする、おなじみの手口だ。
正字正かなで文章を書くのを「いけない」と言はないで「讀めない人が多いから、汎く讀まれたかつたら略字略かなで書いた方が良い」とおためごかしの忠告をして、結果として正字正かなが使はれないやうに仕向けようとする人がゐる。當人は善意を示してゐる積りなのだからたちが惡い。
この種の「善意の假面を被つた人」は、「正しいHTML」の話をする人々の中にも澤山存在する。石動氏もその一人である。「正しいHTML」を主張する事は、即座にその人が善人である事を意味しはしない。何うも「XHTML原理主義者」にはをかしな論調の人が多いやうに思はれる。近藤氏もさうだが、「XML最高」と言つてゐる人には、理窟がわからない人が多過ぎる。

本氣でXHTMLを潰したくなつて來た。