闇黒日記?

にゃもち大いに語る

虐殺を見たら、人ならもつと何か思ふ所があるだらう

今の日本人は感性が何うしやうもなく鈍つてゐて、文學なんかでも讀んでさつぱりわからない文章を書く人が極めて多い。
現在、讀書ブログだか書評ブログだかの方面では重鎭となつてゐる(か何うか知らない)渡邊さんだが、如何に渡邊さんが自分は「文學的に讀んでゐる」と強調しても、俺には渡邊さんの文章がさつぱりわからない。わからないものはわからないのだからしやうがない。


大體、小説を讀んでも、渡邊さんのは、なんか觀念的で、ぴんと來ない。もちろん、俺は自分の感性は疑ふ積りなど全くない。こんな言ひ方をするのは申し訣ないけれども、渡邊さんの文章は、文學的ではないと思ふ。だからこそ、今の時代、渡邊さんの文章は受けるのだらう。渡邊さんは今の人なのだ。そして俺は今の人の感性を疑つてゐる。
渡邊さん論をやりたい訣ではないからこの邊で渡邊さんの話はおしまひ。

アメリカのフロンティアの時代の事を勉強してゐると必ず知る事だけれども、白人のアメリカ人は、言ふまでもなく後からアメリカ大陸に入り込んだ人間で、もともとアメリカ大陸にはネイティヴの住人がゐた訣だが、さう云ふ所謂「インディアン」を白人の入植者は隨分苛めて、非道い目に遭はせてゐる。日本人が南京で何人殺したかは知らないし興味もないが、「インディアン」は大陸に1845年くらゐまで大體115萬人はゐたのに1870年には2萬5000人にまで減つてゐて、非道い目に遭ふなんて表現では追附かない、絶滅の危機にまで追込まれてゐる。彼我のスケールの違ひをまざまざと感じさせられるが、白人連中の非道い事は、例へば「インディアン」の虐殺、1864年にあつたサンド・クリークの虐殺を見ればわかる。冬になつて休戰の申し入れをしたインディアンは安心して宿營してゐたのだが、シヴィングトン大佐に率ゐられたコロラド民兵がそこを襲つて、女子供を含めて無抵抗の「インディアン」を殺し捲つた、のみならずそれが極めて「残虐なやり方」であつたと言ふのだ。敢て内容は引用しないが、それが實に陰慘なもので、引用するのも嫌だからだ。
で、「南京大虐殺」は「あつた」と言ふ人々は、この種の虐殺に興味がある筈だから、白人によるアメリカ原住民虐殺の事は常識として知つてゐる筈だが、その虐殺について屡々書かれるやうな内容と同じやうな事を日本人が南京でやつたと常に言ふのである。これは何うだらう。
俺は一人の日本人として言ふのだが、白人を憎む訣ではないけれども、その虐殺の仕方はあんまりなものだと思ふ。少くともその場に居合せたら俺なら正視できないものだと思ふ。それは多くの日本人もまたさうだらうと思ふのだが、しかし、ならば、さう云ふ日本人が、なぜ南京では自分自身で「さう云ふ事」が「できた」のだらう。これに關して、「あつた」派の人は、先の記事に書込んで呉れて「戰時なら誰でもやるだらう」と説明して呉れたのだけれども、俺は全く納得出來ない。少くとも、強要されでもしない限り、俺には出來ないだらうし、やつても直ぐに氣持ち惡くなるだらうと思ふ。ドラマ「私は貝になりたい」でフランキー堺演ずるところの日本兵が、上官の命令で捕虜を槍で突き殺すけれども、あんなに嫌さうにしか人を殺せないのが本來の日本人であるならば、如何に強要されたとしても、さうさう大虐殺なんて事は出來やしないだらう。「東京裁判」で松井大將が死刑にされたけれども、司令官である松井大將は虐待等の行爲はせぬやうにと通達を出して、しかし、「現實の南京大虐殺」を「とめられなかつた」として、消極的な理由で有罪にされた。當然、司令官よりも下の連中が「やつた」と云ふ事になる訣だが、司令官の支持に逆らふのだから相當積極的であつた筈で、しかし、そんな虐殺に積極的になれるやうな國民が日本人であつたか。

かう云ふ事を十年前のYahoo!掲示板で俺は散々言つたのだけれども、「具體的な證據がない」からと云ふ事で「あつた」派の諸氏には鼻で嗤はれた。なるほど、證據ではない。しかし、感覺的に納得出來さうにもない事柄を、俺は信じなければならなかつたし、今でも信じなければならないのか。アインシュタインの相對性理論ならば、感性と反する理論が「正しい」訣だが、今の「南京大虐殺」の問題は、飽くまで人文科學の領域に屬する問題であり、感性的に納得のいく事が歴史學的に意義を「持たない」とは言切れない。寧ろ、誰でも納得の行くやうに説明して、そこで初めて歴史として認められると云ふ事になるのでないか。しかし、「あつた」派の諸氏には感性と云ふものが全くないのである。「不自然だ」と云ふ感覺がないのである。裁判官が「不自然だ」と思ふからこそ無實の人が冤罪にならず無罪放免となるのであるが、その裁判官が「具體的な證據がない」と言つて何でもかんでも有罪にしてしまつたら――もちろん、「あつた」派の人は「裁判と歴史は違ふ」の一言で、簡單に話を濟ませてしまふのである。

猿谷要『西部開拓史』(岩波書店岩波新書黄版192)を讀んだ。