闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「持つてゐるけれども」「持つてゐる筈だが」「持つてゐない版だから」

東京古書會館週末恒例の古書展。レシートに何處の會か書かれてゐないけれども何處かの會主催の古書展。某所の某さんが何時も怒つてゐる棚配置。個人的にはこの方が面白くていい。
買つた本。クリストファ・ドウソン『聖アウグスティヌスとその時代』。河合榮治郎選集『第一學生生活』。ワイルド『藝術論』(要選書)。『キリスト教は文明を救いうるか』(社会思想研究会出版部)。会田雄次『日本文化への直言』。福岡徹『軍神』。
ドーソンの本は持つてゐる筈だが持つてゐないかも知れないと思ひ始めたら不安で仕方なくなつて購入。多分持つてゐる。もつとも、本の山の中に埋もれて出て來なくなつてゐるので、探す手間を省く爲最う一册、と云ふ面も。
河合榮治郎の本は、多分單行本で持つてゐる筈だが、選集版は持つてゐないので、内容に異同があるかも知れないから購入。多分全く同じだが、版が違ふのだから問題ない。
ワイルドのとキリスト教は云々は、やつぱり棚の何處かにある筈だが、ないかも知れないので。
福岡のは福田恆存さんが批判してゐた乃木愚將説の本。これは確實に持つてゐないから買つた。
会田氏のは、持つてゐないと思つて買つたけれども、もしかしたら持つてゐるかも知れない。

えーと。


何うも俺の事を言つて非難してゐるらしいので一往。

と言ふか、何で何册も同じ物を買つたら行けないんだよ。好きな本なら何册も買ひたくなるのが當り前だ。一册買つたら安心してしまふなんて、そんな讀書家がゐたとしても、俺はそいつを信じない。PCのデータはバックアップをとり、TVアニメーションは二臺か三臺で録畫する――それが常識の現代において、どうして人は本を買ふ事にケチになれるのだらう、一册しか買はないなんて、をかしいぢやないか。どうして本に限つてバックアップは要らないし、バックアップ分を確保するのは異常だと極附けられねばならないんだ。

それから、初版に拘るのは無意味だよ。と言ふか、本は何より讀めれば良いのであり、重版がかかつた時にでも買へば良いし、古本屋で見附けた本が後の版でも買へばよろしい。あとになつて初版が見附かつたら、その時買へば氣分が良いだけだ。
だからこそ複數の本を確保する事になるのであつて、何時でも一發で初版を手に入れなければならないなんて、そんな事を考へるのは、寧ろそれこそ潔癖症だと言はざるを得ない。ダブりを恐れるのは素人。