闇黒日記?

にゃもち大いに語る

ドーソン『近代のジレンマ』讀了

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クリストファ・ドーソン


の『近代のジレンマ』は以前から讀みたくて探してゐたのだけれども全然見つからず、ちよつと前の東京古書會館の古書展でやつと買ふ事が出來た。多分十五年くらゐ探してゐたと思ふ。創文社のフォルミカ選書で出たもの。

文明と云ふものが成立し、活力を持ち續けるには、文明をあらしめる價値が存在し、力を持つてゐる必要がある――それが歴史家ドーソンの主張で、西歐文明にもその根柢にキリスト教が存在し、文明を支へてゐる。
キリスト教の價値觀は西歐文明の傳統の根幹にあり、キリスト教の盛衰が文明の盛衰と一致してゐる。現在、西歐文明は活力を失ひつゝある。西歐文明の傳統の根幹にあるキリスト教は、矢張り力を失つてゐる。しかし傳統は再生し得るのであり、それによつて文明に新たな力を與へる事が出來る。そして、今の西歐において、キリスト教以外の如何なる價値觀によつても改めて文明に活力を與へる事は出來ないとドーソンは述べる。
その是非を我々非キリスト教文明の國の人間が云々しても仕方がない。が、ドーソンの樣々な指摘は我々にも示唆的であり、また今に至るまで當時の問題は問題であり續けてゐるのであつて、この本が1932年に出た事はその價値を少しも傷附けるものではない。西歐文明は明かにキリスト教文明なのであるが、近代以來キリスト教それ自體の影響力は低下し續けてゐる。キリスト教の勢力下に出現した近代的な價値は、ヨーロッパ文明を現代の姿にあらしめたが、しかし一方で、價値として脆弱であり、強壓的に共同體の構成員を支配する事例すらも生じてゐる(唯物論)。
もちろん、文明を救濟する目的での意圖的な宗教の復興は無意味であり效果を持たない。しかし、過去に死にかけたローマ社會を救つて西歐の精神的な統一を維持したカトリシズムは、現代に於ても文明を救ふ潛在的な力を持つてゐるとドーソンは見る。
ドーソンの見方が我々にとつても示唆的であるのは、西歐の現代の文明と、キリスト教文明の影響下に近代化を實現した我々の文明とが、ともに非キリスト教文明の状態にあつて同樣の問題に苦しんでゐる爲であり、その近代のジレンマに對してドーソンが解決策を示さうとしてゐるからである。
單純にドーソンの示唆を我々は受容れる事は出來ないが、それは西歐がキリスト教を自分の傳統として持つてゐるのに對し、我々が持つてゐないからだ。此處に我々日本人が近代文明と附合つて行く上で西歐以上の近代のジレンマと戰ひ續けねばならない理由がある。

ドーソンの『近代のジレンマ』は、今でも多くの人に讀まれて良い本だが、現在は普通に入手する事が出來ない筈だ。