闇黒日記?

にゃもち大いに語る

揚げ足取りすらも出來なくなつた慘めな粘着アンチの醜態

いやこんな汚らしいタイトルつけたくないんだけれども、あつちの連中の文章を眺めてゐるとこつちの精神まで汚染されて。

粘着憲法論 投稿者:一読者 投稿日:2008年 5月27日(火)21時42分47秒   返信・引用
またまた書いていますよ(藁)。
もういい加減黙ればいいのに。高橋氏たちとの論争はもうどうにもならないのに。
「必死だな」なんて懐かしい言葉を思い浮かべてしまったよ。
慥かに未だにそんな言葉を思ひ浮べるなんて、ねえ。しかし、「必死」に俺を潰さうとしてゐるのは誰だらう。
と言ふか、かう云ふ事しか「一読者」は言はないんだよね。

(無題) 投稿者:弐読者 投稿日:2008年 5月29日(木)00時03分28秒   返信・引用
 野嵜くんはどうして最近の読みやすくて啓蒙的な本を読まないのかな。

 例えば憲法学の第一人者、長谷部恭男・東大教授が政治学者の杉田敦
対談した『これが憲法だ!』(朝日新書)。どこでも手に入る。

 これを見ると、「あらゆる憲法は「押し付け憲法」である」(176ページ)、
憲法は社会契約ではない」(178ページ)といった基礎的なことが明快
に書かれている。

 野嵜君が帝国憲法について約束は守られなくてはいけない、と再三主張する
のもそもそも憲法を契約のようなものだと解釈しているんだろ。だが、少なく
ともそういう考え方自体には異論があるのだよ。
 こういうのを読んだ上で反論を書けば説得力も出るのに。
またまたアンチは、斯うやつて自分に都合の良い部分だけを引用する。しかも通俗的な對談。かう云ふ人を專門家を自稱する粘着アンチ仲間の哲学徒氏は、仲間だと言つて非難しないのである。

憲法コーラン? 投稿者:喜六郎@管理者 投稿日:2008年 5月29日(木)05時13分12秒   返信・引用
ノザキ君の憲法論はただ「明治憲法は正しいんだいっっっ!!!」って絶叫してるだけだからなぁ…
論外。と言ふか、過去にずらした論點に拘つてゐるだけ。粘着アンチの得意とする論點ずらし・話のすり替へを、こちらに指摘されて、喜六郎は涙目。

(無題) 投稿者:東京しごとセンター 投稿日:2008年 5月29日(木)19時28分35秒   返信・引用
自分を批判する人々のことを「権威が欲しいだけ」などと書いていたくせに、
T弁護士の名前を出す自分こそ権威に頼っているではないか。
帝国憲法擁護も結構だが、憲法で定められている勤労の義務や納税の義務
まず果たすことこそ肝要であろう。
「義」。前半、「権威に頼っている」は根據の無い極附け。後半は、この記事が削除すべきものである事を示してゐる。
http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/55.html
で、今後は私も野嵜氏を批判する記事を書くことは止めにします。野嵜氏に関しては今後は徹頭徹尾黙殺する所存ですので、訪問者のみなさんも、野嵜氏に関する批判や「無職」叩きはご遠慮下さいますよう、よろしくお願いします。
当ブログでの「無職」叩きについては、放置し続けてきた私にも責任の一端がありますので、この点に関しては深くお詫び申し上げます。
もし、そのようなコメントを発見した時は、容赦なく削除させて頂きます。
今、喜六郎はこの記事を容赦なく削除してゐない。喜六郎がバアタリアンである事を喜六郎自身が引續き證明し續けてゐるのである。

野嵜リンクの質 投稿者:一読者 投稿日:2008年 5月30日(金)21時57分2秒   返信・引用
野嵜氏の「大日本帝国憲法」とかいうリンクを見てびっくり。告文が妙に短いので
変だなと思ったら「皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ……」
のくだりがばっさり抜けているのだ。

野嵜氏が間違えたわけじゃないが、あれだけ明治憲法を尊重しているのなら
こんないい加減なところから引用するな。すぐ気づけよ。
諒解。しかしなんでこつちのコメント欄で指摘しないで陰口を叩くんだらう。アンチは陰濕だ。

Re: (無題) 投稿者:喜六郎@管理者 投稿日:2008年 5月30日(金)22時01分14秒   返信・引用
> No.35[元記事へ]

弐読者さんへのお返事です。

>  野嵜くんはどうして最近の読みやすくて啓蒙的な本を読まないのかな。
>
>  例えば憲法学の第一人者、長谷部恭男・東大教授が政治学者の杉田敦
> 対談した『これが憲法だ!』(朝日新書)。どこでも手に入る。

近所の書店に置いてなかったんで、ネットで注文した。
私も最近憲法問題に興味が湧いてきた。

仲間には媚びる喜六郎。
ちなみに。
http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/70.html
投稿者:kirokuro
2008/6/1 6:18
野嵜健秀は「九十九匹の問題には興味を持たない」とか言ってるけど、憲法問題はまぎれもなく「九十九匹の問題」なんだけどね。
喜六郎が憲法問題に興味を抱くのは、飽くまで政治主義的な物の見方に基いてゐる。

グレアム・グリーンを讀んでゐれば(『權力と榮光』)、或は、ジョージ・オーウェルを讀んでゐれば、政治を扱ふ事と、政治主義的である事とは、區別出來る。勿論、喜六郎に、そんな區別をする氣は毛頭ない。知的に怠惰であるからである。

投稿者:kirokuro
2008/5/29 14:37
追記。
野嵜氏は上では「約束」だなんて曖昧な語句を使ってごまかしてるけど、つまりは野嵜氏も人間は規制で縛るべきだと言う考えの持ち主であり、私と同意見なのである。
にも関わらず、規制撤廃論者の木村氏を擁護し、私を非難するのは何故かといえば、それは木村氏は「友」であり、喜六郎は「敵」だからという理由に過ぎない。
野嵜氏は「正義」より「政治」を優先させているのである。
この人は、本當に適當に用語を使つて適當に話を故事つけるのが巧い。斯う云ふのを詐欺師の才能と言ふのだらう。


しかし、「義」に興味を持たないと言ふ喜六郎は、何で俺に興味を持ち續けてゐられるのだらう。それが不思議だ。俺がそんなに興味深い存在だと言ふのだらうか。それならそれで俺は相當買ひ被られてゐると思ふのだが、さうやつて適當に貶したり持上げたり、好い加減にして呉れ。

福田恆存に『解つてたまるか!』と云ふ優れた御芝居があつて、前は良く解らなかつたけれども、今回の騷動の御蔭で、實に良く理解出來るやうになつた。
粘着アンチの方々には感謝してゐる。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/FUKUDA/Play/Wakattetamaruka.html