闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「バカにつける薬は本当にないな」と馬鹿のアンチが言ふ

112と名乘る「アンチ野嵜」の狂信者が書込んで來た。


バカにつける薬は本当にないな。

俺の事を執拗に「馬鹿」呼ばはりして、俺の事を執拗に責め立ててゐる。

だが、俺個人を責め立てる事を目的としてゐる時點で、112が馬鹿だ。


喜六郎も「義」も同じで、「野嵜個人を責め立てる」以外に、彼等「アンチ」の目的は存在しない。
俺を責め立てて何うしようと言ふのか――俺を愚弄し、嘲弄して、それで喜六郎、「義」、或は112なる匿名のアンチは、自分一人で、或は「お仲間」で、樂しんで、快を貪つてゐる。ただ彼等は、「樂しむ」だけの目的で、俺を馬鹿にしてゐる。

彼等は、ただ自分(たち)が樂しむだけの目的で、他人を馬鹿にしてゐる。
これこそ、彼等「アンチ」が馬鹿である決定的な證據だ。

現實に、彼等「アンチ」の發言をまともに採上げるまともな人間はこの世に存在しない。喜六郎らは、俺を「論破した!」と言つて威張つてゐるが、「喜六郎の小屋」なる「ブログ」を讀んでゐるまともな人間は一人も存在しないし、喜六郎の發言に裨益されるところのあつた讀者も一人もゐない。喜六郎の文章は、同じ「アンチ」仲間以外、誰も讀まない。
それだけで喜六郎の發言が全て無價値のものであると云ふ事は明かだ。

悔しかつたら、喜六郎は今の「ブログ」で、まともな人間からブックマークでも言及でもされてみろ。現時點で、喜六郎の事をまともに相手にしてゐるまともな人間は、ウェブには一人もゐない。


アンチには、自分が馬鹿な事をしてゐる、と云ふ自覺が全くない。ところが、彼等アンチの言ふ事を、普通の人間が全く相手にしてゐない、と云ふ事實がある。喜六郎の發言を、まともな人間は相手にしない。「喜六郎の小屋」を見てゐる人間は、喜六郎が馬鹿にし、粘着してゐる、俺の「闇黒日記」を見てゐる人間の何分の一だか何百分の一だかしかない。
喜六郎が話題を振つて、各地の「ブログ」なり何なりが反應して、意見を述べたり、議論が勃發したり、と云つた事は、今の今まで一度もない。精々俺と木村さんが反應する位で、其處から先には絶對話が擴がらない。俺や木村さん、或は「野嵜フォロワー」「松原信者」と、何の關係もない方面で、廣く喜六郎やその他のアンチの言つた事が、一般的に興味深い話題として、採上げられた事があるか。一度もない。

彼等アンチは、自分逹が良い事を言つてゐる積りでゐるが、まともな人間には相手にされた事すらもない。それは彼等の言つてゐる事が、獨善的な主張に過ぎない事實を示す。そして、さうした事實から目を逸らしてゐる事が、彼等アンチの人間としての駄目さを決定的に證明してゐる。