闇黒日記?

にゃもち大いに語る

ネットストーカーをスルーしないの記――あー青方の中村さんは氣にしないでスルーして下さい

「日出づる國の一無名人」を名乘る青方の中村が、持ち前の嫌らしい粘着氣質を發揮して、執拗に無意味な攻撃を續けて呉れてゐる。最早この青方の中村、野嵜に對するネットストーカー以外の何ものでもない。
勿論、ネットストーカーに「お前はネットストーカーだ」と指摘しても、ネットストーカー自身に自分がネットストーカーである事を認識するのは無理だ。ネットストーカーの青方の中村が自分はネットストーカーであると自覺する事はないし、勿論、ネットストーカーと自覺出來ない人間にストーキング行爲を反省する事はできない。

さて、こちらは隨分我慢したが、中村は餘りにもしつこい。「義」もしつこいが青方の中村も同じくらゐしつこい。人の事を憎んで呉れてゐる期間は、どちらも同じやうなものだ。5年以上、こちらがリアクションも大して返さずほつたらかしてゐたのに、勝手に憎んで呉れてゐるのだ。「義」も青方の中村も、同じネットストーカーだと言つて良いだらう。
ネットストーカーは無視されても立去らない。この事實は、半年間沈默した野嵜に相變らず青方の中村が執拗にストーキング行爲を續けてゐるのを見れば自明の事だ。半年も我慢すれば「禊」は終つたと言つて良いだらう。良く知らんけど。

例の『國語問題論爭史』の事でも、青方の中村、一度は反省して、匿名掲示板のログを轉載して晒して見せてゐたのを引込めたのだが、何時の間にやらまたぞろ「纏めサイト」を作つて再公開してゐる。
書いたり消したり――そんな事を野嵜がやれば「大丈夫なのか」と書いて青方の中村は心配して見せて呉れたものなのだが、當の青方の中村本人は、自分が「大丈夫なのか」と言はれて仕方のない眞似をして、全く愧ぢるところがない。他人のやればをかしな事で、自分がやれば正しい事だ――青方の中村には、この手の二重基準が多過ぎる。
ウェブには、餘所のログを轉載し、氣に入らない人間に當てつけて見せるのが大好きと云ふ人間がゐる。世間を傍觀してゐる俺は気附いたのだが、斯うした連中、どう云ふ訣か知らないが、他人がすれば氣に障る行爲を自分は好んでやるのである。はつきりいつて、この手の人間、自分のやつてゐる事を反省する能力を缺いてゐるものらしい。ひたすら他人の「責任を問ふ」と言つて、個人攻撃を續ける輩には注意すべきだ。

しかしまあ、この青方の中村、餘りにもしつこい。こちらがせつかく默つてゐたと言ふのに、相も變はらず人の事を侮辱して呉れてゐる。「スルーすれば消える」と言つたから、俺は中村に反論しないで我慢したのだ。なのに中村は消えない。これは明かに、中村の「スルーすれば消える」なる主張が間違つてゐる事を意味する。
さう云ふ訣で、こちらも諦めて、青方の中村はスルーしない事にする。こちらとしては馬鹿馬鹿しい人身攻撃・人格攻撃に應じて時間を無駄にするのは嫌なのだが、攻撃されてゐるのだからプロテクトの意味で反論するのは已むを得ない。

とは言へ、人格について云々しても全く意味はないから青方の中村の人格を云々するなんて眞似はしない。ただ、事實を指摘し、論理的に批判するだけだ。常々、俺は「論者の人格について論じても意味はない」「論理的に話をすべきだ」と主張してきた。

その青方の中村が據點としてゐる(?)のが以下のブログ。

「日出づる國の一無名人のブログ」
http://aoi-umi.jugem.jp/

「保守派にして縱書正字正假名派、日出づる國の一無名人のブログ。男系に依る皇統護持と拉致被害者の全員奪還を熱望するブログ。縱書きや年次表記に元號や日本紀元(神武紀元、皇紀)を採用出來ないものだらうか。」等と偉さうに書いてゐるが、やつてゐる事がもつぱら野嵜個人に對する人身攻撃なのだから笑はせて呉れる。あー青方の中村のブログ、本當に下らない代物だから、がんばつて良く讀む必要はありません。
しかしよくもまあ中村も、毎囘下らない駄文を長々と書けるものだ。閑話休題

青方の中村は「××との認識のずれを正す」と繰返し書いてゐる。この書き方がをかしい事を、「縱書正字正假名派」を名乘る青方の中村は自覺してゐない。

「佐藤俊氏との認識のずれを正す」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=92

「佐藤俊氏との認識のずれを正す 其之二」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=93

「澤田亮太氏との認識のずれを正す」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=94

「澤田亮太氏との認識のずれを正す 其之二」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=96

「もりやまひろし氏との認識のずれを正す」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=97

「もりやまひろし氏との認識のずれを正す 其之二」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=98

「澤田亮太氏との認識のずれを正す 其之三」
http://aoi-umi.jugem.jp/?eid=100

「××との認識のずれを正す」とあれば、正しいのは「××」の側に決つてゐて、その「××の認識」を基準に、自分の「ずれを正す」のでなければならない。ところが、青方の中村は、これらの記事で、如何にも自分の側が正しく相手の認識が誤つてゐるかのやうに振舞つてゐる。題名から見ればをかしな話だ。ところが、青方の中村は、この題名の附け方は「正しい」と信じてゐる。だから何度も何度も繰返し繰返し「××との認識のずれを正す」と書いて、自分の側を正さないで、相手を正さうと試みてゐる。

馬鹿につける藥はないものか。