闇黒日記?

にゃもち大いに語る

ウェブで「誰某さんだけに對する文章」なんてあり得るか馬鹿


ここまでぐだぐだになると、Kirokuroではないが、哀れとしか言ひやうが無くなる。

私は、Suckyさんに對し、かなり腹を立ててゐます、下らない言ひがゝりばかりつけてくると私は感じてゐるので、お互ひにさうかも知れませんが。
「お互ひにさうかも」とか――本當にさう思つてゐるのなら、何を腹を立ててゐるんだらう。實際、七鍵氏の傲岸不遜さに、相當多くの人間が腹を立ててゐるんだ。ところが七鍵氏は、自分だけに腹を立てる權利があるかのやうに思つてゐる。「お互ひ」なんて言葉が白々しいのは、他人に自分と同じやうに腹を立てる權利なんてないと、七鍵氏が思つてゐるに違ひない事を、我々は知つてゐるからだ。

最初に申しあげておきますが、Suckyさんの仰つてつてゐることは、自身の身をかばひたいばかりの言ひがゝりでしかありません。七鍵をだしにした、賣名行爲以外のなにものでもありません。それについて順をおつて話をします。こゝまできたら賣名行爲も良いだらう、Suckyさんの納得がいくまでつきあひますよ。私事だけを申しあげれば、私の知り合ひもこゝは觀てくださつてゐるので、あまり下らないやり取りはしたくないのですが、さうはいつても下らない言ひがゝりばかりをつけられてはだまつてゐられません、覺悟をきめました。
賣名行爲は「お互ひ」ではないらしい。「自分本位」なのは七鍵氏、自分だけは免れてゐると、またも「自分本位」に勝手な事を言つてゐる。しかし、何うして斯うも七鍵氏は「他人(七鍵氏を批判する人間)の行爲=惡意」「自分(七鍵氏自身)の行爲=善意」と考へる事が出來るのだらう。
さう云ふ考へをしてゐるから、無斷リンクが何うの斯うのと變な事を言つてしまふのだ。

合はせて。まだ話が通じる相手だと、これは勘ですが、感じてゐるので申し上げます。會ひたいのであれば仰つてください、その機會を設けます。公開の場に抵抗があるのであれば電子メールでも構ひません。もちろん、公開の場が良ければトラックバックを送つてきて頂いても構ひません、トラックバックの必要がなければそれもどうぞSuckyさんのページは少くとも週に一囘は見るようにします、何なりとお好きな形式でどうぞ。
云々。
Kirokuroは實に簡潔に、必要な事すらも書かないで、何も考へないで他人を侮辱する術を心得てゐるが、七鍵氏は、實にねちねちと――しかし必要な事だけは絶對に書かず、兔に角他人を侮辱しようとする點では、Kirokuroと變らない。まあなんでこんなに陰濕な書き方を「知人も見てゐる」、のみならず、第三者、見知らぬ誰かも見てゐる公開の場で、平然と書けるのか。

何度も申し上げますが、私はSuckyさんに對してかなり腹をたてゝゐます。もともとSuckyさんからつけてきた因縁です、私は今件まで「Suckyさん」との名前すら知りませんでした。知りもしない相手から、特定の本人に言つたわけでもない主張に對し、こゝまで因縁をつけられてだまつてゐられるはずもありません。
云々。
七鍵氏は、不特定多數に言つてゐると云ふ事の意味を全く解つてゐない。Sucky氏と云ふ特定の個人を目指してものを言つたのではない、「だから」Suckyさんから批判される言はれは無いと七鍵氏は「理窟」を言ふのだけれども、そんな理窟はない。當り前だ。不特定多數の誰かに言つたら、特定の個人から批判される。何も不思議な事はない。それを七鍵氏は「不思議だ」剩へ「異常だ」と言ふ。異常なのは七鍵氏だ。

むしろ、Suckyさんの氣がすむルールでどうぞ。Suckyさんの氣がすめば、「終り」との意思表示をして下さるだけで結構です。私は、終り方に對する批評をしたいがために、こゝまでSuckyさんに譲歩をしてゐます。
これも非道い。「私は、終り方に對する批評をしたい」つて、相手が話を終はらせたら、ここぞと許り責立てて嫌がらせをしてやるぞと、七鍵氏はさう宣告してゐるのだ。脅迫も同然だ。

何で此處まで七鍵氏はをかしな事を平然と言へるのだらう。技術はある人なんだらうし、雜學の知識もあるんだらうけれども、何か根本的なところで常識が缺けけてゐるとしか評しやうがない。

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追記

この記事でだけ、私は野嵜であると同時に、ハンドル「Suckyさん」を名乘つてゐる事にします。もちろん、七鍵氏が意圖してゐるSuckyさんとは別人です。が、ハンドルなんて誰でもウェブでは好き勝手に名乘れる訣で、野嵜健秀だつて何處ぞの誰かさんが私と別に勝手に名乘つてゐたりします。
まあ、本當にトラックバックを限定したいなら、「誰某さんだけ」とか斷り書きを書くのでなく、技術で解決したらいいでせう。

もつとも、何處ぞの「なんとかみるく」氏みたいに、リファラをみてアクセス彈きをやつた人も相當のDQNだと私は思ひましたが。

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最う一つ追記


七鍵氏も福田恆存の讀者だらうに、福田さんの文章は讀んでゐないのだらうか。
ウェブでのやりとりと云ふものを、七鍵氏は「個人對個人」のものだしさうでなければならないと堅く信じてゐる。けれども、福田さんの言葉を借りれば矢張りこれも「一種の見せ物である」。
それあさうだらう。七鍵氏がSucky氏とやりあつても、それは「一種の見せ物である」。
2ちゃんねる邊でウオッチしてゐる人がゐるかも知れない、なんて事を指摘するまでもなく――そもそも七鍵氏だつて、自分の日記を、知人「も」見てゐると言つてゐるのだ。それは即ち、知人以外の不特定多數の人間が見てゐるものと七鍵氏は判つてゐる事を意味する。ところがそれでも七鍵氏は「他人の容喙する事ではない」のだから「容喙して來てはならない」と主張するし、「關係ないのに口を挾んで來る人間はろくでなしである」と極附けて「嫌ひだ」と言放つ。
が、誰が何う考へても、公開の場での「見せ物」的やりとりを、他人が見ない訣がないし、誰もが「見せ物」を見て感想を抱かなかつたり意見を言はないで濟ませられたりすると云ふものでもない。寧ろ、「こんな事があるぞ」と話をしたくなる人間は出て來るのが當り前であり、その時にウェブだと――と言ふより、ありとあらゆる言論で、言及する時は出典を明示する。それがルールだ。そのルールを守らないでいいと七鍵氏は積極的に主張するのだが、「自分本位」を前面に押し出しては駄目だらう。と言ふか、繰返すが、「自分本位」のプライヴェートな事を言ひたければ、公共の場は不適切だ、SNSで知人だけに語るのが良からう。

或は、もしSucky氏と一對一でやり合ひたいのであれば、七鍵氏は公共の場であるウェブ上で宣告するのでなく、電子メールを送つて提案すれば良かつた。なぜウェブ日記上で七鍵氏は「Suckyさんだけ」なんて記事を書いたのだらう。
他人にも讀ませて、Sucky氏に壓力を掛けようと考へたのでないか。さうなると、「他人」の存在を否定しておきながら七鍵氏は自分に都合良く「他人」の存在を利用しようとしてゐる事になる。「自分本位」にしても七鍵氏の「論理」は自分にばかり都合が良過ぎでないか。