闇黒日記?

にゃもち大いに語る

思想的對立=「わだかまり」を解消する爲の議論と云ふ事

葦津氏は、「政治と暴力」の切離し難い事、「政治的信條といふものの根柢には、テロへ走る本質の潜在する」事を指摘し、「信條と信條との對決が、高度の緊張を呈する時には」テロリズムの發生が避けられない事を述べてゐるが、結論部で、さうしたテロの慘劇を避ける爲には、「テロはいけない」といふ「道徳的説教」を繰返すだけでは駄目で、「政治的信條と信條との鋭い對決そのものを解消する」事が必要だと説く。
現在の日本では、左右の陣營の間に、甚だしい不信があり、それが「緊張」を生んでゐる。その相互不信は、危險な對立である。が。
けれども、この不信は、自由なる討議を通じて、ある程度までは解消し緩和し得るのではあるまいか。
七鍵氏は、議論こそが「わだかまり」を生む、と主張する。しかし、既にある思想の對立こそが「わだかまり」なのであり、相互不信であるのだから、それを解消するやうに我々は努めなければならない。その爲にこそ議論は必要なのであり、誰もが討議に參加しなければならない。
ところが、議論・討議を通して、相互の理解を深め、互ひに互ひを理解し合はうとする事を、七鍵氏は、或はKirokuroは、拒否する。自己の立場を守らんが爲である。が、さうした態度こそが、不信を生ずる……。

彼等はこの事に、何故氣附かないだらうか。或は、氣附きたがらないのだらうか――彼等は、自己の信條の絶對性を確信した人間だからだ。

さうした自己の立場の絶對的正義を確信し、自らが權力を握つた時、敵對勢力に對して極度に冷酷な態度をとつた實例があつた。ソ聯の「赤色テロ」である。

七鍵氏やKirokuroが、權力を握つた時、私等は眞先に殺されるであらう。が、さうした人を人とも思はない考へ方をする人間だからこそ、彼等は相互理解を拒み、議論を拒絶する。
さうした態度は、現代の民主主義の社會では、好ましからざるものと言へよう。だからこそ私は、議論をすべき事を主張する。

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しかし、民主主義の社會で、自由な議論は、當り前の事だらう。私は當り前の事を當り前に主張してゐるに過ぎない。

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前項及び本項の引用は、「昭和を読もう」葦津珍彦の主張シリーズ 第四巻「土民のことば」(葦津事務所)に基く。ただし表記を正漢字正假名遣に改めた。