闇黒日記?

にゃもち大いに語る

職人になつた人々の事

竹田米吉『職人』(中公文庫)と斉藤隆介『職人衆昔ばなし』(文春文庫)を讀んだ。何れも編集者山本夏彦が手掛けた本で、「室内」に連載され單行本化、のちに文庫に入つた。『職人衆昔ばなし』は福田恆存が序文を寄せてゐる。今俺は批評家山本を評價しないが、編集者山本は評價する。
昔の職人――と言つても、昭和の中期に生きてゐた職人だから聞けるのは明治邊からの話で、そんなに古い話でもない。大體昔の職人は亂暴で、小僧に人權は無かつたに等しい。中には免れた者もゐるが多くは非道い仕打ちを受けた。立派な親方に半端な仕事を怒られた者もゐるが駄目な親方や惡い先輩の職人に苛められたりした者もゐた。
さうした「封建的」な時代の職人の世界は、確かに問題を抱へた世界であつて、今となつてはそのまゝ復活させる訣にも行かない。けれども、さうした非道い世の中で今では考へられないやうな立派な仕事がなされたのも事實であつて、それが今の民主主義の時代に失はれつゝある事は考へなければならない問題である。

例の相撲の問題は、既に過去の話題となりつゝあるが、要は、惡い部分だけが殘つて良い部分が目立たなくなつた現代の「傳統の世界」の問題だ。これを何うするかと云ふ事で揉めたのだけれども、勿論解決法はないのであつて、世間も皆承知してゐるからこれはマスコミが騷いだに過ぎないものだと割切つて、それで最う皆忘れてゐる。

職人が小僧を毆つても刑事事件にはならなかつた。職人の世界では、不穩な形の人死にすらもあつたと云ふ。今、相撲で新人力士が死ねば刑事事件となりさうである。これは、嘗ては人權意識が低かつたが、今は人權意識が高まつたためで、おかげでマスコミはネタを仕入れる機會が増えたが、實際のところ、世間一般の意識が何うであれ、小さなコミュニティでの意識が改善されない事には何うにもならない。そして、表向き、それなりに人權意識と言はれるやうになつた日本でも、根本的に日本人の意識は改革されてゐないから、裏で陰濕な事は何時までも繰返される。相撲部屋だけが古臭いのでなく、日本では何處でも古臭い。

戰後の日本の社會で人權意識が向上したかと言ふとそれは大變疑問で、例の戸塚ヨットスクールの事件に就いても、今囘と同じやうな叩きと擁護の意見が各方面から噴出した。あとになつて保守派が擁護する意見を盛に言ふやうになつて、それで戸塚宏校長は「復權」を果したが、しかし保守派の諸氏よ、あなた方は今囘の相撲部屋の新人力士の死亡を見て、再び「嚴しい修行」を擁護する意見を、今、即座に、發表できるか。
ヨットスクールの件でも、指導者が本當に心から相手を思ひ遣つて指導してゐたか何うか。日本人には根本的に陰濕な所があつて――と言ふより、人間には誰にも冷酷な面があるから、何んな「しごき」でも、何んな「修業」でも、良い面と惡い面がある。それで惡い面が「ある」事を認めても、それでも封建的なやり方の良い面を認めるのか。