闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「正しい」と言はれたら「辞書や定規を片手に正しさを振りかざす姿」はうんたらかんたら言へば良いんだらうとか


論の中身よりも、「他の「HTML論」と差別化する爲に導入した假説」という姿勢に疑問が沸き起こります。それは野嵜さんにとって「正しい」姿勢なのでしょうか。他人と差別化しなければ立っていられないような「正しさ」だなんて、歪んでいませんか。

なんだか「歪んだ」感想を貰つてゐるので反論するけれども。

素直に讀んでいただければ良いのだけれども、俺は世間のウェブサイト構築論だかほーむぺーじ作成入門だかの説明が出たら目なのに反抗して、「その手のサイトとうちとは違ふ」と言つてゐるに過ぎません。

大體、どんな學説でも、一つの例外もナシに、先づ假説が提示され、續いてその論證が行はれます。それが正しい主張の仕方です。俺はそれに普通に從つたに過ぎません。何が「歪んでい」るのでせうか。「歪んでい」るのなら何處が何う云ふ風に「歪んでい」るのか、説明したら良いでせう。
と言ふか、他人と同じ事をわざわざ言ふ必要があるとは、何う云ふ事でせうか。他人が既に言つた事なら、わざわざ言ふ必要はないではないですか。

ずいぶん「正しい」と云ふ事が御嫌ひな御樣子ですが、だからといつて嫌みつたらしい文章を書くのは如何なものかと思ひます。なぜか「正しい」嫌ひの人に限つて、云々。さう云ふ態度が不毛な議論を生むのであり、「正しい」と云ふ事を多くの人が認めれば、不毛な議論が無くなるのであります。

日本人は一般に「正しい」が嫌ひですが、困つたものだと思ひます。殊に、一見自省的で、慇懃な人に限つて、「正しい事」を主張する人に敵意を剥き出しにして――と言ふより、敵意をオブラートに包んで、非道く皮肉たつぷりに、侮辱的な事を言ふものです。それも、根據を何一つ示さず、疑問を投掛ける、と云ふ形式で、無責任に。本人、自分は何一つ惡い事を言つてゐない、と心から信じてゐるから、こちらが怒つて激しく反論すれば、本氣で當惑して、自分が被害者であるかのやうに振舞つて、相手を惡人に見せかける事で安心を得ようとする。何なのだらう。「勝手な引用」は全然「失礼」でないけれども、「私も文章を書く時はなるべく漢字を入れる方ですが、これには畏れ入ります。」とか「歪んでいませんか。」とか平氣で書く無神經な態度は非常に失禮だ。「過剰演出ではないでしょうか。」とか、演出如きの爲に正字正かな使ふか。

殊に腹立たしいのは。

辞書や定規を片手に正しさを振りかざす姿は、不毛な議論の種にしかならないと思います。

そんな事、俺が何處でやつてゐると言ふんだよ。出たら目言ふんぢやねえよ。デマ流すんぢやねえよ。良く讀めよ。讀んで理解できないなら批評するんぢやねえよ。偉さうな口きくんぢやねえよ。何偉さうに説教かましてゐるんだよ。

世の中、「正しい」と云ふ「言葉を使つてゐる」と云ふだけで、人の態度を極附ける人が多いですね。剩へ、「あいつの主張のパターンは讀めた!」と簡單に考へてしまふ人、自分の尺度で相手を割切つて、見下して、適當に侮辱の文句を投附けて、好い氣分になる人が多いですね。
人がわざわざ「論理的な一貫性」と云ふ事を強調して書いてゐるのに、それを讀取れないで、「正しい」と言へば「辭書に書いてある事」と早とちりして、適當に文句を言つて話を纏めて「よしブログの記事かけた」と言つて、サーヴァにデータを抛り込んで――後は忘れてしまふ。無責任極まるブロガーが非常に多いですが、まあ、そろそろ十年ウェブであちこち見てゐると、この手のいいかげんな人の多い事は何うしても解つてしまひますね。


懇切叮嚀に説明しても解らない人には解らないなら、解る人にだけ解るやうな説明だけしてゐた方が増しだな、と思つた。