闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「セクション構造を示せ」と云ふ「マナー」の押附けは如何なものか

「リンクされる場合、http://www.alib.jp/diary/diary_[ccyymm]#diary_ccyymmdd[a-z] へお願いします。diary.html は最新の数日分しか内容を保持しません。」とあるのに本記事作成時點でそのURLにリンクを張つても記事が存在しない變なブログの文章について。

http://www.alib.jp/diary/diary.html

「#diary_20071215a / div 要素はなぜ「div」という名前を与えられたのか @ マークアップ言語の設計のgoalとその利用のgoal」
なるタイトルの記事。そのうち以下のURLになるだらうが手動で生成してるのかねえ。
http://www.alib.jp/diary/diary_200712#diary_20071215a

div 要素でマークアップする事で、「この要素の内容は一連のグループにまとめられるものだ」という情報を持つこととなります。自然言語におけるセクション構造は、各段落をこうした一連のグループにまとめたものではないでしょうか。

また、div 要素の名前からも歴史的経緯からも division を表しているものであって、特に class/id で指定が行われていない場合、「汎用的な意味での」division として解釈する方が適切であるように思われます。つまり、一連の情報群をまとめているものだ、と。名前が div であるという事自体に設計意図が含まれているものだと考えられます。

これらを踏まえると、汎用的な文書構造を表現するための機構である div 要素を用いてセクション構造を (division として) を明示する事は、作者の意図を表現するための利用目的としての利用よりも、設計意図に沿ったマークアップとする方が近いと言えます。

臆測に獨斷を積重ねた主張で、本人も相當自信がないらしいが、根據がない事は言はない方が良いと思ふ。

HTML 4において、仕樣書の記述を見ると、divはどうやらid/classと併用すべきものなのであつて、「class/id で指定が行われていない場合」が「あつて良い」のかどうかそれ自體が問題になる。また、そんな場合が「あつた」にしても、それは其處が「ブロックレヴェル要素である」と云ふのを超える事を示さないのは仕樣上決つてゐる事であり、そこで近藤さんが何らかの解釋を行なつてゐる事はそれ自體としてをかしい。

HTML 4の仕樣上、divなりspanなりで括るのは何らかの制作者の目的があつて括ると云ふだけであり、括つた範圍がブロックレヴェルである場合にdiv、インラインである場合にspanにせよ、とされてゐる。それらの括られた領域は、ただ制作者が何らかの意圖で利用するだけの爲に括られるのであり、「セクション構造を示す」爲に括られたとしても「セクション構造を示す」と言ふのは制作者の「利用する目的」でしかない。
「セクション構造を示す」と云ふ「利用する目的」が、制作者一般にあるとしても、仕樣上、そのやうな利用目的でdivが規定されてゐる訣でないから、「セクション構造を示す」と云ふのは、HTML 4の仕樣上は飽くまで私的な利用目的であるに過ぎない。だとしたら、HTML 4やそれを基にした現行のXHTMLに從つた文書を作る制作者は、「セクション構造を示す」事を「常にさうしなければならない」と命じられてはゐないのであり、精々近藤さん等に「マナー」として「した方が良い」と私的に勸められてゐるに過ぎない。