闇黒日記?

にゃもち大いに語る

時と場合によつて「テーブルレイアウト」が正當である事

近藤さんの最近の指摘で氣附いた事。

「はじめにテキストありき」が「成立たない」場合がたしかにあります。現實のウェブサイトにおいて「index.html」として屡々出現する「メニュー」のページ、別名「トップページ」と云ふものがありますけれども、これはたしかに最初に文書があつてそれをマーク附けすると云ふものではありませんね。
では、それでは我々はこのやうな「ぺーじ」について、「テキストをマーク附けする」と云ふ發想で物を言ふ事が出來ないのではないでせうか。さうなのです。

W3C
http://www.w3.org/
が以前、「W3C信者」の非難に遭つて、「テーブルレイアウト」をやめて「リキッドデザイン」に乘換へました。今更ですが、それは意味のある事だつたのかと疑問を呈したいと思ふのです。
現行のW3Cの「トップページ」、相變らずレイアウトの爲のdivで構成されてゐる部分があり、單純な「テーブルレイアウト」の置換へになつてゐます。けれども、この「メニュー」と云ふもの、これは自然言語においてあり得ないものである事を我々は意識する必要があります。
飽くまでインターネットのWWWサーヴィスを利用する人に對してのみ「サイトのメニュー」は必要なのであつて、そこに示される情報は全て自然言語的にではなく生成されてゐるものです。ならば我々はその「メニュー」の情報を、「テキストにマーク附けする」の原理でなくマーク附けする事が「あり得る」のではないか。テーブルに收めて情報を整理する、と云ふ事も「あり得る」のでないか。ならば、見ばえを良くする爲にごちやごちやと複雜化してしまつたレイアウトでなく、或程度の整理されたテーブルによるメニューは「あり得る」のでないか。


日本では水無月ばけら氏がW3Cのテーブルレイアウトを非難したのが一番有名な例だと思ふけれども、
http://www.ne.jp/asahi/minazuki/bakera/html/opinion/table
「テーブルでレイアウトをするのは避けよう」と言つた事がW3Cの誤ではなかつたか。「テーブルレイアウト」にも「正しい」ものがあると言つておけばそれで濟む話でなかったか。W3Cは單純に「テーブルレイアウト」を「リキッドレイアウト」に置換へたが、この種の何でもかんでも從來のやり方を「置き變へる」と云ふ發想がW3Cの「XHTML 2」にも入り込んでゐて、「XHTML 2」で檢討されてゐる一部の規定に問題を生じてゐる。br要素をやめてline要素みたいなのを作るとか。
重大な問題として指摘したいのだが、單なる置換へにすぎない行爲を、「W3C信者」の人が屡々「これは置換へでなく發想が異るのだ」みたいな言ひ方で積極的な創造行爲であるかのやうに主張する。しかし、何う見てもただの置換へであり、小手先の問題囘避行動にしか見えない「新しい仕樣」の類が、「XHTML 2」の檢討中の仕樣の中には澤山見出せてしまふ。

話が餘計な方向に行つたが、しかし、XMLを採用する事をソフトウェア處理の觀點から考へるならば――と言ふより、「テキストをマーク附けしてソフトウェアで處理できるやうにする」と「一聯の流れ」として概念を把握してゐるのであつても、我々は或種の「テーブルレイアウト」を一概に排斥できない事になるのでないか。


ところで、
http://www.w3.org/

p class="small"
なんて記述があつたのだけれども如何なものか。small要素は何處へ行つたのだらう。
W3Cの人は既存の要素を使はないでidやclassで意味附けするのを一般に正當な行爲と認めてゐるのか。さもありなん。