闇黒日記?

にゃもち大いに語る

論語の例の件

文學博士宇野哲人譯『四書集註 上』(改造社・世界聖典全集)。

142~143ページ。

○葉公問孔子子路子路不對。
……
○子曰。女奚不曰。其爲人也。發憤忘食。樂以忘憂。不知老之將至云爾。
未だ得ざれば即ち憤を發して食を忘れ、已に得れば即ち之を樂しみて憂を忘る。是の二者を以てして、俛焉として日に孳孳たること有り。而して年數の足らざるを知らず。但自らその學を好むの篤きを言ふのみ。然れども深く之を味へば、即ちその全體至極、純亦不已の妙、聖人に非ざれば及ぶ能はざる者有るを見る。蓋し凡そ夫子の自ら言ふこと、類ね此の如し。學者宜しく思を致すべきなり。

「全體至極」の注。

全體至極云々 憤ると樂しむと相反して居る。聖人は憤りを發しては便ち食を忘るるに至り、樂しみては便ち食を忘るるに至る。是れ兩邊各々其の極に造るのである。寒には寒の極に到り、暑には暑の極に到るが如くである。故に全體至極と云ふのである。兩者循環して己まず老の將に至らんとするを知らざる所以である。此は聖人の心は天理に純で別に他の嗜好が無い。自然に之を學んで厭はざる所以である、故に純なれども亦己まずと曰ふのである。
(原文のまゝ)