闇黒日記?

にゃもち大いに語る

喜六郎が俺に粘着する異常な理由

喜六郎が俺に粘着し、俺の事を侮辱する言動を繰返してゐるのは、俺が發言する事を妨碍し、俺が事實上發言できなくなるやうになる事を狙つてゐるからだ。

喜六郎は、「松原信者は、道徳的に惡人である。道徳的に惡人の松原信者からは、發言する權利を奪はなければならない」と主張してゐる。

これは、誰がどう見ても異常な發想だ。をかしくないと思つてゐるのは當人だけだ。
だが、喜六郎は、自分に都合の惡い事を自分の「ブログ」のコメント欄に書込む人間がゐると、さんざん侮辱して追出してしまふ。結果として喜六郎の「ブログ」には喜六郎と同じやうな異常なイエスマンだけが集り、喜六郎の發言をとがめる事の出來る、まともな人間が寄附かなくなつてゐる。

俺は、道徳の問題とそれ以外の問題は峻別すべきだ、と何度も言つてゐる。喜六郎は、俺が「道徳だけが大事だと信じてゐて、政治を侮辱してゐる、だから許せない」と怒つてゐる。が、單に俺は政治と道徳を區別してゐるだけだ。
喜六郎は、道徳と政治とを區別できないから、人の主張を虚心坦懷に(わらひ)讀む事が出來ないし、人の言つてゐる事の揚げ足を取る事を「批評」だと勘違ひして俺の言つてゐる事を嘲笑して――結局、自分の「頭のよさ」を誇るだけの結果になつてしまつてゐる。
喜六郎は、自分が傲慢である事を自覺する事すら出來ない。だからこそ、俺の事を「傲慢だ」等と、適當に「それつぽい言葉」で以て氣樂に罵る訣である。