名指しの批判を囘避したい人々

「私は名指しで批判しません。それは失礼な事だからです」と宣言しながら、激しい口調で他人を非道く非難する人がゐる。私はさう云ふ行爲に嫌惡感を覺える。
なぜなら、その人は「私を名指しで批判する人がいたら、その人は失礼な事をやっているのです」と言つてゐるも同然だからだ。即ち、自分に對する直接的な非難を囘避する爲に、その人は豫め自分から直接非難を浴びせないでゐるのである。これ程卑怯な保身のやり方はない。

だが、日本人は斯うした保身を當り前の事と思つてゐる。
何しろ、日本國のあり方を規定した「日本国憲法」が、さうした保身を日本と云ふ國家が「する」のだと堂々と宣言してゐるからだ。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

日本國は「日本国憲法」の規定を「大變素晴らしいもの」だと諸外國に宣傳し、自分逹は平和主義を世界で最初に採用した理想國家である、と言つて威張つてゐる。

その一方で、最近になつて、何と、第九條が實は戰爭抛棄を意味しないものである、そもそも戰爭抛棄をしてゐない事をあとで言へるやうに仕組まれてゐたのである、と「曝露」する人が現れた。

第９条　日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
２　前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「前項の目的を達するため」は「芦田条項」と呼ばれるもので、この文章が插入されてゐる爲にこの第九條は自衞權を肯定するものと解釋する事が可能となつた――と言ふのだ。

「自衞の爲の戰爭は認める。しかし日本國は戦争を放棄した平和國家なのである」――支離滅裂だが、さう云ふ支離滅裂を日本人は當り前のやうに思つて來た。論理なんて物は何うでも良い、と思つてゐるからである。
しかし、「我々は戰力を放棄した、諸外國のみなさんは私の國に攻撃しないで下さいねｗ」と言つて來た日本が、「しかし、外國が攻めてきたら、我々には反撃する權利があるのだ」と言ふのは、諸外國の人々が見たら不氣味に思はないか。いつ前言を撤囘して齒を剥くか、わからない。

斯うした不氣味さは、「私は名指しで批判しません」と言ひながら、しかし依然として他人を罵倒する事をやめない某氏にも、感じられる。
成る程、國家間の關係では「日本国憲法」の「論理」が日本國に不利になるかも知れない。けれども、國家と個人とは違ふ。個人にとつては斯うした「論理」は大變有利になるのかも知れない。
だが、何れにせよ、その種の「論理」で自身を防衞しようとしてゐる人は、最早その人の言ふ論理全てを信用する事が出來ない。論理と云ふものを輕視してゐる以上、論理を言つたところでそれはその場凌ぎの言ひ訣にすぎず、本音は何處かに隱してゐるに違ひないし、それは惡意である可能性がある。

諸外國は日本が「私逹は平和国家です」と言つても信じられない。餘りにも信じられないが故に、誰も信じない。その爲、有難い事に自衞隊は普通に軍隊として遇して貰へる。諸外國の人々は常識を持つてゐるから、非常識な國家に在つて常識的な存在である自衞隊を、常識的なものと見る。
一方、日本人は、非常識であるから、不氣味に「論理」を弄んで自衞する行爲を、何とも思はない。彼も思はないが、我も思はない。「名指しで批判しません」と言へば「この人はなんと素晴らしい人格の持主なのだろう」と「素直」に受止めてしまふ。そして、さう言ふ人に、それでも抗議を申し込む人間がゐたら、その抗議を「した」事が即座に「惡事」として解される事になる。
諸外國の勘違ひは、日本國にしてみれば、何とも便利な事だ。そして私も日本國の國民だから、自分の國にとつて便利な事は、確かに「ありがたい」事として「見る」事が出來る。ところが、同じ日本人の勘違ひが、私自身に向けられる時、私は「ありがたい」とはとても思へない状況に陷る。

「名指しで批判しない」と宣言する人は、「同じ日本人」から批判されない事を狙つて、豫防線を張つてゐる。さうした豫防線の張り方は、常識的に考へて鄙劣なのだが、日本人は常識がないからそれがわからない。
一方、常識ある人間ならば、その豫防線の存在を知りながらも、矢張り名指しで批判する常識的な行動を取らざるを得ない。すると、常識のない人々は「それ、アホが罠にかかった」と言つて、ほくそ笑むのである。
――日本では、常識を持つてゐる側が常に馬鹿を見るのであつて、をかしな側が常に得をする。何ともをかしな話だが、をかしな人々は、「得をする」事を「正しい事」だと思つてゐるから、自分逹が得をし續ける限り反省しない。

國語問題について松原先生が指摘された事なのだけれども――まともな國に占領してもらつて、お前逹日本人はまともでない、だからまともな國語に戻せ、と命令されなければ、日本語の表記はまともにならない。表記に限らない、非常識な日本人は、常識的になれ、と外壓を受けなければ絶對に常識的にならない。
ところが、そんなお人好しな占領の仕方をする國がある訣がない。少くとも、まともな國である訣がない。だから夢物語であるのだが、ならば日本國がまともになる事は永遠にあり得ないと云ふ事になる。
だが、だからといつて、日本人はをかしなまゝでゐて良いのか。