闇黒日記?

にゃもち大いに語る

春日正三・桜井茂治『日本語の表現と構造』より

春日正三・桜井茂治『日本語の表現と構造』(双文社出版)は、あとがきに「大学の専門教育ならびに一般教育の教科書として、また、広く一般の日本人が日本語を考え、学ぶ為の教養書としても役立つよう編集したもの」とあるけれども、要は大學生向けの教科書だ。内容は大きく「表現編」と「構造編」に分れ、前半では日本語で文章を書く技術について、後半ではさうした技術を支へる根柢にある日本語それ自體について、解説されてゐる。

表現編

人間の言語生活は、社會生活を行ふ爲に必要なコミュニケーションである。本書は、「書く」「讀む」と云ふ言語行動に的を絞つて、文章表現のより酔いあり方を檢討してゐる。よりよい文章表現の爲には、樣々な要素を念頭に入れる必要があり、主觀的な觀點から主題・材料・文章の構成を先づ論じ、次いで、文章の構成の仕方と云ふ觀點から文章それ自體の構造について問題を指摘し、そもそも文章と云ふものを言語學的に見る、と云ふ事で「表現の爲の文法」「規範文法」を取上げる。てにをはの問題に次いで、用語・表記の問題を論じてゐる。基本的に「現代」の文章表現を扱つてゐるので「現代かなづかい」に基づいて解説されてゐるが、本書では「現代かなづかい」の問題點・矛盾點も指摘されてゐる。

構造編

國語學について、本書ははつきり定義してゐる。
国語学>は、国語を研究の対象とする文化科学であり、精神科学であり、言語学の一部門である。
「国語つまり日本語を研究の対象として、その性質と現状を明らかにして、その中に存する法則を見出し、歴史的に由來を究めて、国語の組織だった知識を得る」ための学問が国語学である。
言語が社會的に必要なものであり、そこで要請される「表現」の技術を前項「表現編」で扱つたが、「表現」の技術を考へる際の前提となる客觀的な國語(日本語)のありやうを、本項「構造編」では示してゐる。
國語學は言語學の一部門であり、本書は一般的な言語學の常識として先づ音聲と音韻について解説を行ひ、次に「書きことば」について説明して文字(漢字・かな)とかなづかひ、さらにローマ字について説明してゐる。
次いで、本書は文法について扱つてをり、そこには以下のやうな説明がある。
文法とは、人が社会生活を営むための、能力として存在することばのきまりである。
文法論とは、ことばのきまりを説明する説明体系である。
一般では、ことばのきまりとして人々のあいだに存在する法則それ自体と、きまりについて説明するために学問的に整理された<知識体系>とが、いずれも文法と呼ばれて混同されている。
ことばの能力として存在することばの法則そのもの――法則として自覚されない形で存在する――を文法と呼び、知識体系として整理されたもの――法則を法則として説明する体系、あるいは学説――それが文法論である。
事實としての文法は飽くまで一つであるが、文法論は研究者によつて異る「言語觀」に基づいて構築されるものであるから複數存在する。
そして最後に、語彙と方言について説明されてゐるが、言語が社會的なものであると云ふ前提から、客觀的な事實の指摘を通して、言語生活で實用上必要な技術を考へようとするものである。