闇黒日記?

にゃもち大いに語る

正字正かな

歴史的かなづかひは「正しい」か

http://blog.livedoor.jp/h7bb6xg3-rakusho/archives/54725603.html >歴史的仮名遣いとは、「正しい」日本語表記なのではなく、奈良平安時代の典型的な日本語であるという議論には説得力があると思われる。契沖も本居宣長も日記や手紙には歴史的仮名遣いなど…

Seikana.org引繼ぎました

http://seikana.org/ 押井さん管轄だつたseikana.orgの管理を引繼ぎました。現在用途を模索中。何かアイデアがあつたら教へて下さいね。

高島俊男の困つた主張――「訓讀みは無意味である!」

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題 / 関口涼子 / 翻訳家、作家 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/international/12340 「許す」と「赦す」は同じ意味ですよ - 図書館発、キュレーション行き http://yuki-chika.hatenadiary.j…

正字正かな攻撃五つのパターン

正字正かな攻撃五つのパターンと云ふネタを考へた。 ・旧漢字は読みづらいです。だから旧仮名遣いはやめてください。 ・正字正かな信者は人間のクズ。 ・現代仮名遣いはすでに定着している。 ・×の正字体を出してみろ。 あと何かあるかな。 http://twilog.or…

歴史的假名遣について

「現代仮名遣」が、「日本語の表記を簡單にしたら、日本語教育は樂になり、日本人の知的レヴェルも上がるに違ひない」と云ふだけの理由で主張されたものである事は、どれだけの人が理解してゐるだらうか。ゆとり教育を實施した論理と同じ理由だよ。 「現代仮…

過去を切り捨てる後ろめたさ

今の「神社神道」が何んな發言をしてゐるか、知らないで神道の事を論じたり――剩へ「國家神道」が何うの斯うのと惡口を言つたりしてゐる人が多過ぎる。 「國家神道が何かをやつた」と云ふ事實はない。そもそも「國家神道」なるものは存在しない。靖國神社やら…

教育の結果としての「現代仮名遣」信仰

我々は、子供の頃から「現代仮名遣い」や「日本国憲法」は「良いものである」、或は「今の日本は最高に良い国である」と教へ込まれてゐるから、それらを疑ふ事が出來ない。 我々は、左翼的で進歩的な思想を子供の頃から「正しい」ものとして教へ込まれ、「常…

「正かなクラスタ」叩きをする匿名の人々

長くなつたから一行で要約。アンチの人は卑怯な事をしないで、正々堂々と批判したらいいのに。 はてなの匿名ダイアリー(またしても匿名である。なぜアンチは必ず匿名を使ふのだらうか)にこんな記事が。 http://anond.hatelabo.jp/20140319193408 冒頭に要約…

梅原猛・埴原和郎『アイヌは原日本人か』

梅原猛・埴原和郎『アイヌは原日本人か』(小学館創造選書)より p.200 <引用> ……とくに初めて日本語の科学的研究を試みたのは本居宣長で、彼は当時として能うる限りの努力をはらって、七、八世紀の文献にでてくることばを全部分析して、そして語源を比較研…

言論の自由を否定する人々

前囘の「狸=砧」氏が、Twitterで私の住所を公開して、脅迫をして呉れた。 文字の問題では、自分の支持する意見に反對する人間を潰すために、各種の卑怯な方法が用ゐられる。特に「現在の体制」に對する批判は、本當に、ありとあらゆる嫌がらせで、封じ込め…

愚民政策を支持する人々

以前は狸と名乘り、今は砧と名乘つてゐる「アンチ旧字旧仮名主義者」の人がこんな事を書いてゐる。 旧字旧仮名使ってる国士さまは変体仮名も文語体も使えよ。 むしろ中国由来の漢字を否定して神代文字に走って偽史を信奉してウガヤフキアエズ王朝の存在を主…

「現代仮名遣い」の問題について

「表記は表音的な方向へ進むものである」と云ふ發想から国語改革の方針は定められてゐる。それがそもそも問題である事が認識される必要がある。「表音化」と云ふ全體的の方針に從つて、国語改革は實施されてゐる。國語の表記は、歴史的假名遣・正漢字から、…

同人誌「正かなづかひ 理論と實踐」の宣傳

野嵜監修で同人誌を出す事に……。執筆は正かなづかひ關係者の面々、發行ははなごよみ。 正かな同人誌制作委員會(假稱) http://kan-chan.stbbs.net/dojin/seikana_dojin.html 全ページ歴史的仮名遣の文芸同人誌、只今制作中! - 「愛」も「萌え」も定義は広い…

無題

「科學は何うあるべきか」と「科學」。 「假名遣は何うあるべきか」と「假名遣」。 ふむ。

言葉を使ふ事や國語の教育について

言葉によつてコミュニケートする、とはどんな事なのか、を反省しておきませう。 先づ表現主體の活動が起ります。 何かがもやもやと頭の中に作られる ↓ 意思によつてもやもやとしたものが思想としてはつきりとさせられる ↓ 思想が外部に形式的に表現される 次…

正字は存在する

ユリイカの白川静特集号。 例によつて大熊肇氏が「正字は存在しない」なる主義を主張してゐた。 大熊氏。 ・「正字は権力者が『正しい』と定めたものにすぎない。手書き文字は民衆が自由に書いていた」 私はかう考へてゐる。 ・「歴史的に正字なる概念は成立…

書き言葉の研究は「藝術」なのだらうか

なんか世間では「かなづかひの研究は藝術である」みたいな感覺で話をしてゐる人が多いみたいなんだが。 http://ryus.s21.xrea.com/w/item/1219 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/11/philosophy.html 話し言葉が科學になるのに、どうして書き言葉は…

歴史的假名遣なるもの

我々は權威・權力による全ての押附け・強制を排除して、自由に自分の態度を決めなければならない――とするならば、「現代仮名遣」なる權力による・權威的な強制は當然の事ながら排除しなければならない、と云ふ事になります。ところが、自由を主張する人々は…

選ぶべき表記の規範

例へば、 「惡い命令・駄目な指示を、出來るだけ避け得るやうな表記の規範を定める爲に、我々はどうすればよいか」 と云ふ問ひを設定するのは何うか。 その時、政治的な都合や或種のイデオロギーを基準(「權威」)に設定する事は、好ましくない、と言ふ事が出…

明治政府が採用したかなづかひなるもの

歴史的假名遣は、江戸時代の國學者が、歌學の研究を通して見出した、日本語の表記の法則と云ふ事實であつた。 ――和歌の研究を通して見出したものであるから、それは一見、文學的な存在であるかのやうに思はれるかも知れない。しかし、和歌も日本語の文藝であ…

神學と科學

論爭は、「神學的論爭」と「科學的論爭」の二つに完全に分けられる。 「神學的論爭」と云ふのは、價値觀に就いての論爭であり、「科學的論爭」とは、事實を説明する法則についての論爭だ。 何れも、一貫した理論を構築する事を目的とした論爭だが、大きく異…

ありのままの日本語を認められない人々

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368 「典型的な勘違ひ」と書かうと思つたのだが、よくよく讀んでみると、さう非道い勘違ひをしてゐるわけでもない。 ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからは…

根本的な價値觀の違ひ

我々と爺氏との間で意見が合はないのは、彼我で信ずる價値觀が根本的に異るからだ。 爺氏が今何を言つてゐるか、見に行く氣がしないので見てゐないが、佐藤さんが報告してゐるのを見れば大體解る。爺氏は、他の一般の現代日本人が信じてゐる價値觀を普通に信…

「正字正かな」は存在しない?

某ブロガー氏のところのコメント欄で「正字正かな」なる用語は「ない」と言はれた事があるけれども、その伝でなら「旧字旧かな」「新字新かな」も「ない」だらう。が、それらは「ある」。 何なんだらう。

「自分本位」對「自己抛棄」

「現代仮名遣」は、或語について、「このように書け」と一方的に命令するものだ。使用者は、何者かによる命令に從ふ事になる。これを「大變良い事だ」と考へる人がゐる。しかし、なぜ「良い」かと言ふと、その命令者は、「自分」だと、その人は考へてゐるか…

『日本文法事典』(有精堂)より

北原保雄・鈴木丹士郎・武田孝・増淵恒吉・山口佳紀編『日本文法事典』(昭和56年12月20日初版発行・有精堂出版)の「仮名遣い」の項に以下の記述がある。 「歴史的仮名遣い」は、契沖によってその基礎が固められた。契冲の仮名遣い観は、『万葉集』や『古今集…

「假名遣ひは價値觀」なる考へ方の誤

進化論も唯物論も、事象に對する價値判斷として機能する。「○○は生存に適してゐたから勝ち殘つた」――勝ち負けの判斷は價値判斷だ。「××時代には支配者と被支配者が鬪爭してゐた」――勿論、鬪爭の結果、勝つべき側が「ある」と云ふのが唯物論の考へ方だから、…

爺氏の單純な頭に感激する

爺氏は、大野晋氏・橋本進吉博士が、科學的な國語學を打立てようとしたから、其れ以前の一切の研究は全て一つの例外もなしに非科學的なものと看做してゐたに違ひないと、驚くべき粗雜な解釋をしてゐる。 先方のコメント欄にも書いたが、橋本博士や大野氏は過…

單純に「かなづかひ」は「規範」だと言へない事

http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-13.html 既に自分が何を書いたかまるで忘れてゐるので、復習になつた。 --- 爺氏は、歴史的かなづかひとしての定家かなづかひと契沖のかなづかひが、規範として「作られた」と考へてゐる。けれども、實際…

「日本語學は科學である」事の報告

取敢ずリンクを張る。 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-12.html ・『岩波講座日本語1 日本語と国語学』P236「7日本語研究の歴史(2)--明治以降--」大野晉 ・『岩波講座日本語別巻 日本語研究の周辺』P299「9日本語学はなぜ成立しなかった…