闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「かなづかひの研究」に對する爺氏の誤解

爺氏は、「かなづかひの研究」とは「既に出來上がつてゐる規範としてのかなづかひを研究する事」だと思つてゐる。
けれども、私は、「文獻を通して日本語の表記の實態を明かにする事」がかなづかひの研究だと言つてゐる。規範を考へる爲の事前のリサーチの事を言つてゐる訣だ。

――私は「先に事實を明かにしてから、それを規範に採用する」と言つてゐるのだが、爺氏は「規範それ自體を捏ねくり囘すんだらう。價値觀・主觀の中だけで話をしようとしてゐるんだ」と極附けてゐる。
話が噛合つてゐない。と言ふより、爺氏が根本的に勘違ひしてゐる。

私の言つてゐることをそもそも爺氏は全く理解してゐない。理解しようともしない。「かなづかひの研究」と云ふ言ひ方だけを見て、「これは既成のかなづかひを研究する事だな」と思ひ込んでしまつた。そして、私がいくら説明しようとも、爺氏は自分の最初の極附けに固執して、私の言葉に耳を傾けようとしなかつた。

私を非難する人には、斯う云ふ獨斷型の人間が多い。何故人の文章を讀まないのか不思議だが――爺氏が文章を讀めないからだと考へるしかない。實際、爺氏は、人の文章をその人の意圖通りに讀まうとせず、自分にとつて都合の良いやうに歪曲して讀む惡癖を身に附けてゐる。爺氏は理系の技術者ださうだが、文系の學問を疎かにしたせゐだらう、文章讀解の技術を身に附けてゐないのである。
さう云ふ人間が、「私はいま日本語の本を讀めない環境にゐる」と言ひ、「だから讀まないで人の言つてゐる事を批判する。ガハハ」と威張つてゐる。何うかしてゐると思ふ。「だから默る」と言ふのが常識的な人間の論理だらう。
リサーチも出來ないで、ただ論敵の言つてゐる言葉尻を捕らへて、自分に都合良く歪曲しつゝ「議論」を展開しても、何の實りもない筈である。ところが、さう云ふ事をやるのが、爺氏は樂しくて樂しくてたまらないのだ。
かう云ふ手合とは議論したくないものだが、私に絡んでくるのは、必ず斯う云ふ輩である。