闇黒日記?

にゃもち大いに語る

シンポジウム日本語(2)日本語の文法(学生社)より

最初の章「文法研究の問題点」で、報告者・宮地裕氏が、主な日本語の文法の研究を纏めてゐる。

はつきり「科學」と言つてゐないが、明かに科學的な研究としての國語學と云ふ觀念があつて、その前提で各研究の特色を纏めてゐる。

山田、松下、橋本、時枝氏以前の文法研究に就いて。
中世以来の「てにをは」研究、近世以来の活用研究、係結研究等、部分ごとに、和文典の伝統形成があり、明治以降は、文法の史的事実にかんする記述的研究も進んだ。べつに、中世に洋学の日本文法研究が残され、近世末・明治初めには蘭学系・英学系の洋式文典があり、以後、英・独・仏語学等を摂取しつつ、四氏らの文法体系が構築されていった。

四氏以後の文法研究に就いて。
現在の動向として。
アメリ言語学の摂取応用への努力、対象文法研究への関心の増大、コンピューター用文法構成への試みなどが目立つが、小分野ごとの個別的調査研究も少なくない。内容的には、意味あるいは語彙との関係への配慮が大きくなってきていることに共通性がある。

今後の動向。略。

おもな文法学説に就いて。
大槻文彦『広日本文典』
大槻によれば、「文法科は、言語を正しく用ゐ、文句を正しく綴り得るを教ふるもの」という。つまり、ことばをただしくつかうちからをやしなうのが文法科の任務である。そして、当時、話しことばとしての標準語、ないし、共通語の意識はなかったから、唯一の標準的共通的国語としての、書きことばの「中古言」の文法、すなわち、平安朝の文法を記述したのである。
「単語篇」では……(略)
「文章篇」では……(略)
これらのうちには、文法的説明を欠くものがおおく、相互の関連や体系的説明にとぼしいうらみはあるが、最近、ようやくさかんになってきた文の構造論(シンタックス)のために興味ある事実の指摘もある。

山田孝雄『日本文法論』など
山田の文法関係の著書は、明治四一年の『日本文法論』以来、その数が、決してすくなくない。中核は『日本文法論』に、しめしたとおりであるが、その体系が、今日、学問的にたかく評価される理由は、いくつかあげられるが、山田が、「思想」との関連において「言語の外相」を直視し、精細な論証と豊富な実例とを明示した、ということが、もっともおおきな理由であろう。
山田によれば、「文法学」は純粋に理法を探究する学問であって、「文章の誤を正す」などということは「直接の目的にあらず」なのである。「然らば文法とは如何なるものか」、それは「ある国語の内部の組織」であり、「国語を思想に応じて運用する一般的の法則なりといふをうべし」という。

松下大三郎『改撰標準日本文法』
松下は『改撰標準日本文法』(昭和五年)の緒言で、「私は考へた、人間の思想の構成上に絶対不変の根本法則があるならば、思想を表す言語にも、その構成に世界に一般なる根本法則がなければならないと。」そこで、「各国語には各特殊の法則が存するが、其れは皆一般的なる根本法則に支配されるところの特殊法則である。故に一国語の文法は一般理論文法学の基盤の上に行はれなければならない。」とする。松下の『日本俗語文典』も『標準日本文法』(大正一三)も、『漢譯日本口語文典』も『標準漢文法』も、おおきくは、かかる「主義」のあらわれと見ることができる。
松下は「言語は音声又は文字を記号として思念を表示する方法物である。」として、思想内容の表現をおもんじた。内包とそして、文法とは「説話構成の法則」であり、文法学に「一般文法学」と「国語文法学」とがある。すなわち、日本文法学は「国語文法学」の一種であり、その背後に「一般文法学」の存在が予想され、「世界に一般なる根本法則」が想定されている。
かように、松下の文法体系は、「一般理論文法学の基礎」を予想し、日本語の文法的事実を、「世界に一般なる根本法則」との相関において解明しようとした、基本的態度によってつらぬかれている。難解な論述もあり、用語も独自であって、山田の意義論的な態度よりも、一層徹底して範疇論的態度を持しているが、形態の処理に関しては、橋本によって受けつがれているところがある事実によってあきらかなごとく、現象を直視して、精密な分類をおこなおうとしており、抽象理論にとどまっているのではない。

橋本進吉『国語法要説』など
橋本の文法に対する態度は「形」の方面の研究を主とする。橋本は『国語法要説』のはしがきに『従来の研究は、言語の意義の方面が主となっているのであって、言語の形に就いて、猶観察の足りないところが少くないやうに思はれる。かやうな方面の研究によって、従来の説を補ひ、又訂すのも必要であろうと思ふ」と述べた。つまり「内容・意義・思想」などが、かならずことばの外形にあらわれ、なんらかの「外形上の特徴」を持つとき、その「意味を有する単位の構成に関する通則」を「文法」としたのである。

時枝誠記『日本文法 口語篇』など
時枝は、「言語は思想の表現であり、また理解である。思想の表現過程及び理解過程そのものが言語である」とし、「言語は人間行為の一に属する。言語を行為する主体を言語主体と名付けるならば、言語は言語主体の行為、実践としてのみ成立する」として、その言語観を「言語過程観」と称する。
さて、かかる立場で、言語における「単位的なもの」を、「語」「文」「文章」三つとする。とくに、従来の文法では対象としなかった「文章」について、従来の修辞論の問題としてではなく、「科学的な文章研究」の基礎のうえに、「規範的文章論」を成立させねばならないとする。しかし、時枝の論考も、まだ考究の途上にあったようで、体系的組織的研究までには、いたっていない。
したがって、「語論」ならびに「文論」が、時枝の文法体系の中核をなしているわけであるし、独自の分類が、明快な論述によっておこなわれているのも、この部分である。時枝によれば、「語は思想内容の一回過程によって成立する言語表現である。文法学は言語に於ける右のやうな潜在意識的なものを追究し、これを法則化するのである」とする。
かように、基本的観点から、具体的文法的事実の処置まで、体系としての時枝文法は、きわめて特色のあるものであるばかりでなく、言語および言語行動一般に対する、するどい直観を、随所にみとめることができる点で、学界に益するところがおおきく、また、「場面」の理論を導入し、「話し手」「聞き手」の個々の言語行動そのものを重視する点で、国語教育界に益するところもおおきいのである。とくに、「文章」ないし「文学作品」の全体的把握、理解や鑑賞との関連がふかい点で(未展開なところはおおいが)「文章論」は示唆的である。ただし一面、体系の細部の論証はもとより、「詞」「辞」の異次元的対立を固執する点など、問題は、はなはだ多く、学界からも教育界からも、かなりの批判が発せられている。

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參考の爲に、註釋も轉載しておく。「中世以後の文法研究」
日本人の文法研究は、大きく「てにをは」「活用」「語の分類」の三分野に分けられる。「てにをは」は、和歌・連歌の作法の上から重要視されたが、その意義・用法を組織的に説いたのは、「手爾葉大概抄」(鎌倉末か室町初め)からで、中世にはてにをはの用法は口伝として伝えられた。近世に入ると實證的研究が進み、本居宣長「てにをは紐鏡」(一七七一)、「詞の玉緒」(一七八五)、富士谷成章あゆひ抄」(一七七八)に至って係り結びの規則や助詞・助動詞の用法が精細にとらえられた。
活用の発見は、悉曇や仮名遣いに関連して起こり、「八囀声抄」(一三三八)や「仮名遣近道」(一四八一)にその研究の萌芽がうかがわれる。近世になると、谷川士清、賀茂真渕、宣長、成章の研究から、鈴木朖「活語断続譜」(一八〇三)、本居春庭「言葉の八衢」(一八〇八)、東条義門「和語説略図」(一八三三)「活語指南」(一八四〇)へと発展し、用言の活用の全体が整理された。
語の区分意識も古くからあったが、最も体系的に品詞分類を試みたのは富士谷成章あゆひ抄」(一七七八)で、名(名詞)、装(動詞・形容詞・形容動詞)、挿頭(代名詞・副詞・接続詞・感動詞)、脚結(助詞・助動詞)の文法的特質がとらえられた。また鈴木朖「言語四種論」(一八一四)も、体、用(作用形状)、テニヲハに分けて文法上の働きに触れ、言語研究は、このころから体系的語法を打ち立てる方向へむかった。
……。