闇黒日記?

にゃもち大いに語る

自分にばかり都合のいい考へ方

http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_29_01
仰られてゐる「正しい」とは、「1+2=3」のやうに、誰がどのやうに考へても明らかな正しさのことを例に擧げられてゐるに過ぎません。御存知ないかも知れませんが、説明のできる正しさとは、世の中にある問題のごく一部に限られた話でしかありません。考へてもみてください。例を擧げると、例へ話ですが。「今の仕事を續けるのが正しいか」、「好きな異性以外が二人以上存在することは正しいか」、「私の幼少時代に誤りはなかつたか」など、擧げればきりのないことなのですが、これらに正しい答へを出せますか。それは、誰がどのやうに考へても明らかに正しい答へですか。

私の表現してゐる「正しい」と、今囘指摘いたゞいた「正しい」とは、どうも話がかみあつてゐると思ふことができません。「1」に「2」を加えると「3」になることくらゐ、私でも解りますよ。一つだけ言葉を借りると、私に對して「短慮」と仰いますが、どのやうな問題に對しても客觀的な答へが用意されてゐるとの考へ方こそ淺はかな考へ方ではないでせうか。世の中には、自分で「正しい」を判斷しなければならない場面などいくらでもあります。それら一つ一つに、誰もが認める「正しい」が存在するなどとの考へ方は、あなたの思ひ上りではありませんか。「正しい」を自分なりに解釋してゐませんか。

「しかし、氣にする必要はありませんよ。"相手の事情を考へない、自分の都合だけを考へてゐる人"を指して自分本位とこゝでは定義しますが。人間だれしも自分本位なものです、自分本位な感覺はなかなかゼロにはなりません。特に、意見といふものは自分本位のかたまりのやうなもので、それを、知人であれ親友であれ、見知らぬ他人であれ、ぶつける際には、先ずはそれが自分本位であることを理解しなければならないのです。」( http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_23_04 )――七鍵氏は何處まで「理解」して言つてゐるのだらう。

いや、「理解」してゐる、と言ふのでもいい。
なるほど、自分の言つてゐる「正しい」は「誰がどのやうに考へても明らかに正しい答へ」の類ではない――七鍵氏は「自分本位」の「正しい」事しか言つてゐない、と言ふのだ。

★だが、さう云ふ事は「言つて良い」事なのか何うか。

――そもそも、正しさを説明できない・合理性を説明できない事を、人は好き勝手に言散らして良いのかどうか。
七鍵氏は「いい」と考へてゐるらしいが、私は「よくない」と思つてゐる。

と言ふより、さう云ふ好き勝手を言ふ人がゐるからこそ、批判は必要だ、と云ふ事になる。正しくない事を言つてゐる――だからこそ、より正しいと思はれる事を言つて、相手の誤を指摘するのは必要になる。なぜなら、さうしなければ、誤だけが世間に流布する事になるからだ。

七鍵氏は、誤つた事でも「當人にだけは正しい」と云ふ事は「ある」のだから「言觸らしていい」と言つてゐる。けれども、一般的に言つて正しくない事を言觸らすのは、デマを流すのと一緒だ。
わざと誤つた事を言つて廻るのは惡質だが、知らずに言つてゐるのなら誤を誤と指摘して知らせなければならない。さうしたら「不快になる」からとか「わだかまりが殘る」からとか言つて、「誤」を「氣持ち良く言觸らせるやうにすべきだ」と七鍵氏は言ふのだが、そんな馬鹿な話は無いだらう。少くとも、誤を言觸らされて、正しい事を正しい事と認めてゐる人間は「わだかまり」を殘すだらう。

「自分本位」の七鍵氏の態度は、本當に困つた事だと思ふ。そしてさう云ふ七鍵氏を支持するKirokuroのやうな獨善的な人間もまた。