闇黒日記?

にゃもち大いに語る

これはひどい


ネットマナーとか「無斷リンク禁止」とか言つてゐる人間が、斯う云ふ非道い暴言を吐くのを見ると、やつぱり道徳的に問題があるからこそ=「自分が一番偉い」と思つてゐるからこそ、他人に「道徳」を要求し、他人の人格ばつかりを問題にするんだな――と、しみじみ思ふ。

七鍵氏は「またきた、女々しいSuckyさん」と題して、以下のやうに文章を綴つてゐる。
「女々しい」にしても「下らない」にしても、七鍵氏自身にこそよく當嵌るのだが、七鍵氏は――何處ぞのKirokuroのやうに――他人にだけその惡口が當嵌るものと思ひ込んで、一生懸命罵倒してゐる。松原先生が西尾幹二の文章を引いてその惡口雜言のひどさに呆れてゐたけれども、これも本當に非道い文章だと思ふ。

しかし。下らない。その一言につきる。「あなたかう言つたよね」とか、「それならば最初からそのやうなこと言はなければ良かつたのに」とか、「その姿勢を徹底しませう」とか。何が下らないか。女性が男に對してそのやうなことを言ふのはまだ可愛げがある。女性はそのやうな話を好むもので、それを聞くのが男の役目である。が、男が、人の言つたことの大意ではなく、言葉の端々をちまちまねちねちと自分のことはたなにあげてつゝくその態度、本當に下らない。説明をするのも阿呆らしいから説明しないんだよ、もともとあなたに言つた言葉でもないことを、何故、平均以下の讀解力しか持たないあなたにその詳細までを説明しなければならないのか。それに對して、「羨ましい」などとどのやうにでもとれる感想を、わざわざトラックバックといふ形にしてまで送信してくるから相手にしただけなのに、"無駄に話を展げ"るなどとの感想を、どのおめでたい頭で想ひつくのか。勝手に自分の氣分だけで自分に都合の良いストーリーを作り、それから外れた話を「無駄」だと勝手に思ふなよ、あゝ本當に女々しい。それにしても、少し自分の腹が立つたくらゐで下らない仕返しをして喜んでゐるやうな輩が、他人の揚げ足を何とかとらうとして喜んでゐるやうな自己滿足な日記に對し、何故私が時間を割いてまで仔細を説明しなければならないのか。説明をしないことを良いことに、何を勝手なトラックバックをいつまでも送信してゐるのだ、あゝゝゝ本當に女々しい、下らない。どんな意見でも、惡意に受け取らうとしたらいくらでも受け取ることができる、女々しい男は特に、自分の意見はたなにあげ他人の意見だけをどこまでも惡意に受け取らうとする。同樣に、讀み方によつては善意にも受け取ることができるのだが、女々しい男はある理由から、かうだと極めた相手の意見を決して善意に受け取らうとはしない。

「女が尻をすりよせてくる」とか勝手に惡意にとつてみる七鍵氏が、Sucky氏の意見を惡意に取りながら、それを棚に上げて、いいやうに・一方的にSucky氏を罵つてゐる。何うして此處まで七鍵氏は偉さうに振舞へるのか、解らない。
繰返し言ふが、七鍵氏の意見は「自分本位」な意見であり、獨善に過ぎない。それを「誰に言つたのか良く解らない」ものである=曖昧なものであるが故に「看過されねばならない」と七鍵氏は言放つ。無責任極まる態度だが、さうした自分の態度をみて、他人は「正しさを判斷できる」と七鍵氏は言ふのである。目茶苦茶だ。

理窟を輕視し、正しさを嘲笑する七鍵氏――「自分本位」を全肯定し、獨善を良しとする七鍵氏、だからこそ、七鍵氏はこれ程までに感情的に他人を罵倒できるのだらう。そこで言つてゐる言葉の中に、一つとして讀者を裨益するところのものがないと云ふのは、呆れた事である。
「勝手にトラックバックを送るな」――なんと身勝手な言葉だらう。「客觀的な正しさを主張してゐるのでないから、反應しないで下さい。」と言つた七鍵氏だが、「反應してもらふ爲のトラックバック機能」を、氏は自分で進んで有效にしてゐる。「トラックバックを送つて下さい」と天下に公表してゐる癖に、七鍵氏は「トラックバックを送つた、なんて惡い奴だ」と言放つ。
これは羂だらうか。

話を戻す。私は、何度もこゝで言つてゐる。讀み取らなければならないのは、その人が何を言つてゐるのか、ではなく。何故言つてゐるのかといふことをだ。Suckyさんは、他人を何とか貶めて自分を優位に見せたい、たゞその賣名行爲のためだけに日記を書いてゐるのである。私は、だしに使はれるのが嫌ひである、が。今囘、だしに使はれた。下らない女々しい輩など相手にするつもりもないし、そんな輩に使ふ時間も正直ないのだが、そんな輩が私をだしにつかはうとするのであれば話は別だ。例えば、一番上だからとの理由で選擇。
七鍵氏が今、Sucky氏を、主觀的・「自分本位」的に貶めてゐる事は、火を見るよりも明かな事だ。ところが、Sucky氏は、七鍵氏を貶めてゐるのでなく、最初は七鍵氏に抗議を申し込んだのだし、それに七鍵氏が木で鼻を括るやうな態度で應じてSucky氏もかちんときたのだ。七鍵氏が全面的に惡い。誰が何う見ても七鍵氏が惡い。少くとも、「喧嘩兩成敗」くらゐの事は言へる。ならば七鍵氏自身にも半分は責任がある。それを一方的に七鍵氏は「惡いのはSucky氏だ」と極附ける。
「だしに使はれた」だの何だのと言つてゐるが、使はれたくなければウェブで物を書かなければいい。「好き勝手にものは書きたい」「批判はされたくない」――七鍵氏の「自分だけは自分本位でいい」「他人は自分本位にされると嫌だ」と云ふ身勝手理論は、呆れるほど「見事」である。
斯うした身勝手さは、既にSucky氏が最初に指摘濟みである。七鍵氏の身勝手な態度は、Sucky氏の批評の正當さをますます裏書きするだけだ。そして、七鍵氏は、自分に不都合な批判には目を塞ぐ事で應ずる。「自分は一番偉いまゝでなければならない」――七鍵氏よ、目を覺まして下さい。

これこそどつちだよ。あゝ、くだらない。他人の文章を惡意に受け取ることは、とても簡單なことで、それを進んでやらうとする輩はもう本當にどうしようもないのだが、むしろ他人の文章を善意に受け止めてみては如何か。
七鍵氏こそ、Sucky氏や私の文章を善意で受止めてみたら何うだ。自分に都合の惡い意見は「惡意の意見である」と七鍵氏は極附けて、罵倒する。何度でも言ふが、呆れたものだ。
誤讀を指摘したらかういつた話になつた、なりさうだつたから早々に話を切り上げやうとしてゐた、にも關らず、未だ粘着されてゐる。本當に、迷惑な話だ。これつきりにしたいものである。
粘着のKirokuro氏が見たら、何う思ふだらう。粘着は迷惑なのださうだ。Kirokuro氏は七鍵氏を支持してゐたが、七鍵氏は粘着を否定してゐるやうだ。
もつとも、こんな數囘のやりとりぐらゐで「粘着」とは、と、何年も執拗に野嵜に粘着してゐる眞性の粘着・Kirokuro氏は、七鍵氏は嗤ふだらうか。

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それにしても七鍵氏、自分の女性蔑視を自覺してゐるんだかゐないんだか……。