闇黒日記?

にゃもち大いに語る

他人を罵つて自分の過ちを胡麻かすのはよせ

「哲學」と「態度」が、七鍵氏は一貫しない。七鍵氏は支離滅裂だ。七鍵氏はをかしい。

七鍵氏が怒つてゐる事それ自體が、私には理解出來ない。結果を他人が判斷するものであると言つてゐるのに、七鍵氏はなぜか意地になつて自分自身の判斷を他人に押附けようとする。訣が解らない。

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「讀解力」が何うの斯うのと言つて皐氏を七鍵氏は貶め續けてゐるが、誰が何う讀んでも、七鍵氏の最初の文章はをかしかつた。
そして、七鍵氏の直前の文章、「結果論」なる記事。「正しかつたか否かは、行つた結果に對して自身以外の誰かが下す判斷である。」――なのに七鍵氏は、自分が正しいと思つて、怒つてゐるのだ。
をかしい。明かに七鍵氏はをかしい。

自分自身を防衞する爲の論理武裝をしておいて、その「武裝」が七鍵氏自身に牙を剥いてしまつてゐるのだ。七鍵氏は、自繩自縛に陷つてゐる。
けれども、七鍵氏はそれを認めたくなくて、それでますます他人を攻撃して、周圍と自分をごまかさうとしてしまつてゐる。七鍵氏の怒りは、七鍵氏が自身の理不盡さを自覺しつゝ、それを否定しようとして、ごまかしの爲に他人を惡人に仕立てようとしてゐる、その顯はれである。

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そもそも。

東京とはおそろしい地域で、電車に乘つてゐると、女性のかたが、男である私に對して、平氣で尻をすりよせてくる地域である。私の意志や主張や人格は、この場合なにも效力を果さない。女性は自身の意思で、自ら率先して、自らの尻を私にすりよせてくるのである。さすがに蹴り飛ばしはしないが、男にしても女にしてみても、乘らないといふ選擇肢はないのだらうか。
http://www.7key.jp/diary/list/2009_09b_16_01

これに對して。

自分は電車に乘るが、他人には「乘らないといふ選擇肢はないのだらうか。*」と言ふ。私もかう云ふ考方ができれば、何も惱まずに生きてゆけるのだらうな。
http://d.hatena.ne.jp/Sucky/20090919/1253289616

これだけの批判に、七鍵氏は向きになつて怒つてゐるのである。

普通は、こんなに怒らない。七鍵氏は、皐氏の事を「讀解力がない」と罵つてゐるが、それだけの事ならそんなに怒る必要はない。
要は、皐氏に理があつて、自分に理がないから、だからこそ七鍵氏は、怒りを表明して、自分の不滿をごまかさねばならないのだ。

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それにしても、七鍵氏の記事、これほど讀者を裨益しないものもない――と言ひたいが、まあ、Kirokuroなんかのクズ記事もある訣だから、「よくある無益な記事」であるに過ぎないと言つて良からう。
何しろ、自分を辯護する爲に、他人を罵つてゐるだけの文章だから、讀者が讀んでも何の益も無い訣だが――しかし、文章なら、どんなに他人を貶すにしても、少しは讀み手に讀んだだけの益のある事を感じさせるやうな事を言つたら良からうものだ。七鍵氏のは、ただただ他人を罵るだけの文章にしかなつてゐない。
「馬鹿つていつたものは馬鹿」式のトラックバックをまた受けた。これに對し、私にも世間體があるため、再度「馬鹿」などといひ返したくないのだが、かうまでいつまでも無意味なトラックバックを受けると閉口どころか開いた口が塞がらない。まあ「會話でなくても問題ない」のであれば暇つぶし程度にはつきあはう。それ以前に、トラックバックとは不思議なもので、受けると何か言ひ返したくなるものだ。
これが全て、七鍵氏の獨善から發せられる特殊の言である事は明かで、我々は一般にこの「論理」を用ゐる事が出來ない。一般性・公共性のない言葉は、無益な言葉であつて、さう云ふ無益な言葉を吐くのは、他人の所爲にして責任逃れ出來たものではない。何を書くかは全て自分の判斷に據るのであり、ならば他人にかこつけて内容のない文章を書いたのを正當化する事は許されまい。
かういふ輩は、言ひ返されないことを唯一の證據として、その相手との議論に勝つたつもりでゐるのだが――私は自身の論の勝敗など氣にもしてゐないのだから、下らない相手に對して、相手が勝つたつもりにならうがどうしやうが、まともな讀者であればどちらに理があるかは言ふまでもなく判ると信じてゐるからこそ「そこ」に對し言ひ返ささうとしないのだが――、彼は「自身の感じる道徳こそ正しい」と思ひこみ、たつたその儚いものだけを論據に自身以外の他者を貶めようと躍起になる。
「私は」云々の自己辯護・自己正當化を織り交ぜながら、只管他人の態度を極附ける、實に惡い議論の仕方だ。もちろん、七鍵氏自身は議論を認めてゐないから、議論のルールを破るのも當然と考へてゐるのだが、しかしその結果として、「はなから相手を下らない存在」と極附ける惡人としての七鍵氏の印象を強める結果にしかなつてゐないのは、自覺した方が良いだらう。そして、他人の判斷を自分に都合良く歪ませようとしてゐる事實も、七鍵氏は自覺した方が良い。「まともな人間は七鍵氏を支持するものである」式の言ひ方をして、それで「判斷は御自由に」もないものだ。