闇黒日記?

にゃもち大いに語る

正字は存在する

ユリイカ白川静特集号。
例によつて大熊肇氏が「正字は存在しない」なる主義を主張してゐた。

大熊氏。
・「正字は権力者が『正しい』と定めたものにすぎない。手書き文字は民衆が自由に書いていた」

私はかう考へてゐる。
・「歴史的に正字なる概念は成立してゐるのだから、疑ふ意味は無い。漢字の代表的な字体としての正字体なる概念は認めておいていい。その一方で、手書きする文字は自由にすればいい」

これらは、似て非なる考へ方だが、大熊氏の考へ方と私のそれとは根本的に異る。大熊氏のそれは、漢字の世界に政治の観念を持込む物であり、既に古びてしまつた「支配・被支配」の関係に基くものである。私はさうした「政治的=アカデミック」といふ現代的な観念をこそ打破すべきだと考へる。
正字なるものも、別に権力者が定めようが誰が定めようが関係なく、「ある」か「ない」かだけが問題である。我々はそれを「ある」と認めなければならない。我々は、或漢字が「ある」と考へるのであり、そのとき常に観念的に「正しい漢字」を想定してゐる。