闇黒日記?

にゃもち大いに語る

福田恆存讀書會「當用憲法論」その一

「今囘から福田恆存入門と言ふ事で、福田さんの著作を讀んで行かうと思ふ。最初に採上げるのは『當用憲法論』。丁度今讀んでゐる人が多いやうだし。麗澤大学出版会版福田恆存評論集第八卷を使ふ」
福田恆存なんて、欽定憲法が大好きな天皇主義者・君主獨裁主義者だろ」
「きみの先入觀には澤山反論したいけれども、きみがさう云ふ先入觀を持つて福田さんの著作を讀む事は、成程あり得る事だと思ふ。ただ、本を讀む上で重要なのは、さう云ふ讀者の先入觀を、實際の文章と云ふ事實で以て否定し、修正する事だ」
「お得意のポパーか。しかしポパーの反證主義は科學に關する事……」
ポパーは、人間が外部のものを認識する時の一般的な覺悟を説いたまでさ。科學哲學に限定する事はない。世間ではポパー自由主義の論者だと認識してゐる。ぼくはポパーが、科學と云ふ場において人間のとり得る態度の法則を定めただけとは見たくないね。實際、ポパーは討論の場における問題を採上げ、音樂について論じ、さうした場に、自分の反證主義を應用する事、世の中の多くの場面に科學的な態度を採入れる事を考へてゐた。それは結局、一方的に自説を述べ立てる許りでなく、他説の側から批判を言立てるマナーを提示した事になるんだ」
「きみはポパー自由主義の態度を踏み越えてしまつてゐるよ」
「ぼくに言はせれば、きみはポパー自由主義の態度から一歩退いてしまつてゐる。それは、自由な討論で、きみの先入觀が否定される事が怖いからではないかな。まあ、この讀書會では、きみにはせいぜい先入觀を提示して貰つて、それが何處まで通用するか、試してみようぢやないか」
「お手柔らかにね(笑)」

「さて、評論集第八卷の166ページを開けて貰ひたい……福田さんは、NHKの番組に出演した話を枕に使つてゐる」
「ああ、福田氏は、誤解を生じた、誤解を生じた、と言つてゐるね。そして、『折角身方だと思つてゐたのに、がつかりした』と言はれたのに、『正直の話、これには私の方ががつかりしました』なんて應じてゐる。ぼくは寧ろ、福田氏にがつかりしたね。『私はあの座談會に初めから冗談の積りで出席したのです』つて、何だよ。何でもかんでも、あれは冗談だ、と辯解されるのでは、とても眞面目に讀む氣にはなれないよ」
「まあ落着き玉へ。きみはせつかち過ぎる。續けて讀んでごらん。福田さんは『冗談の積りで出席したと言ふ冗談くらゐ言へない世界は、私には住みにくくて手も足も出なくなります』と言つてゐるぢやないか。『戰後の憲法論議は殊にさうなつてゐる。私は公開の席上でこのタブーを破つてやらうと思ひ、終始、冗談と皮肉で押し通したのです。』」
「さうは言つても、福田氏は『冗談』と言つて逃げてゐるだらう、それが福田氏お得意のレトリックとしても……」
「いやいや、さらに讀んで呉れ玉へよ。『勿論、冗談は眞實に反する言葉ではありません。私はただ冗談といふ形式を借りただけであつて、さうする事によつて、平和憲法をタブーとし神聖視する人達と私と、それぞれの立つてゐる平面の相違を際立てようとしたのであり、私にとつて現憲法は戲畫としか考へられないといふ私自身の眞實を傳へようとしたのであります。』福田さんは、意識してふざけて見せた、と言つてゐるわけだ」
「意識して、ねえ、難しいねえ(笑)。ぼくは福田氏が人を騙してゐるやうにしか見えないよ。嘘を吐いて胡麻かしてゐるやうな感じ」
「福田さんは、それが效果的なら、黒を白と言ふ事もあるよ。だけれども、それは、嘘を吐いて胡麻かしてゐるのではない。嘘を嘘と見拔けと言つてゐるのでもない。」
「なら何なんだよ」
「嘘を嘘として樂しみたまへ、と言つてゐるわけさ。『冗談』と云ふ言葉にきみは反應したけれども、少しのユーモアも感じられない、ひどく糞眞面目な反應だつた。それはきみが今の憲法を『信じてゐる』からで、それを汚されたのが許せなかつたからだらう。それできみが硬直した態度になつてゐるのを、福田さんは揶揄つたわけだ」
「揶揄つて何が面白いのかね」
「福田さんが一人で面白がりたいのではないよ。福田さんは、發想を柔らかくする事、頭を柔らかくする事を、ずつと言ひ續けてゐたんだ。それで初めて多樣な意見が出て來るわけだから。取敢ずは座談會で、福田さんは率先してふざけて見せる事で、柔軟な發想を取戻すべき事を主張したわけだ」
「納得行かない……」
「納得したくないだらうが、そりやきみは、自分の思想・政治イデオロギー固執したいわけだからな。ところがそれでは、きみが如何に福田さんの非民主性を言つたところで、きみの態度がきみの非民主性を示してしまふ事になる……」
「しかし、嘘はやつぱり行けないね。不誠實だ」
「小説もお芝居も、みんな嘘と言つたら大嘘のこんこんちきだよ。けれども、まともな文學者なら、文學は、口から出任せの大嘘の塊とも、單なる美しいだけのものとも、思つちやゐない。拵へ事と云ふ形式をとつて、人生の眞實を表現したものが文學だと、みんな信じてゐる。信じてゐないのは日本人くらゐなものだね」
「ぼくは日本人だから、信じやしないよ。(笑)」
「ぼくも日本人だから、日本的な美の世界は解るよ、けれども、英文學を齧つた者だから、日本的な世界にだけ籠つてゐるべきだなんて事は、口が裂けても言ひたくない。ぼくら日本人は、何のために外國の文學なんて學んでゐるんだらう。こんなところで詰らないナショナリズムを發揮しないでほしいものだ」

續く。