闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「現代仮名遣い」の問題について

「表記は表音的な方向へ進むものである」と云ふ發想から国語改革の方針は定められてゐる。それがそもそも問題である事が認識される必要がある。「表音化」と云ふ全體的の方針に從つて、国語改革は實施されてゐる。國語の表記は、歴史的假名遣・正漢字から、表音的な表記・簡易的な漢字へと、全面的な改定が行なはれた。

が、「表記は表音的な方向へ進むものである」か何うかは、わからない。別に進まなくても良いからだ。また、表記が「表音的な方向へ進むものである」から「表音的な方向へ進ませなければならない」等と主張すべき理由は存在しない。

實際のところ、「表記を表音的な方向へ進ませる」と云ふ全體的な方針は徹底し得ない。だから「現代仮名遣い」には、表音的な部分と歴史的假名遣の規則を殘した部分とが併存する。「だから良いのだ」と主張する人がゐるけれども、「全體としての方針」に基いて改定が行はれてゐる事それ自體が問題なのであつて、問題があるから結局歴史的假名遣の規則を殘したのだから、それを「問題がない」等と言ふ事は許されない。

全體としての方針を定めて行ふ改定は、その改定が成功か・失敗かを判定する事を不可能にする。戰後の国語改革は最初に方向性を決定する大變危險な革命だつた。成果物としての「現代仮名遣い」を認める事は出來ない。當座、改定以前の歴史的假名遣に戻る事を主張する。
歴史的假名遣の改定は、飽くまで、個別の部分の改定の積み重ねでなければならない。歴史的假名遣の部分的な修正を積重ねて、より良い方向へ進んで行かうとする事には贊成する。個別の部分の改定は、それが全體に對する影響を考慮して、愼重に行はれねばならない。