闇黒日記?

にゃもち大いに語る

議論の勝敗

議論で、相手の矛盾を衝くのも、相手の主張の根本にある價値觀の問題を衝くのも、どつちも相手の結論に「問題あり」と指摘するのが狙ひだが、それが相手に對する勝ち負けを決めるだけの爲なら「メールで言へば良い」と云ふのは意味のない指摘――相手が聞入れなければ「何の意味もない攻撃」に終るだけだ。
公開の場での議論が、その場での論者の勝ち負けを決めるなんて事の爲に行はれる筈のものでないのは、どの論者も解つてゐる事と思ふ。なぜなら、公開の場におけるありとあらゆる議論は、觀客・ウオッチャーにそれぞれの論者がアピールする爲に行はれるものだからだ。福田恆存は「ショー」と呼んだ。
公開の場での議論はショーだ。しかし、觀客がゐるショーであつても、その觀客がその場での議論の勝ち負けを決める事で、勝敗が確定するものでもない。議論は、問題の檢討を、個人の中でやるのみならず、複數の人間でやる事で、より深く檢討する目的で行はれるものだ。
歌合での勝ち負けは、その場で決まる。平兼盛壬生忠見の勝負は、その場では兼盛の勝ちとされた。しかし、後世の評價では、忠見の方が優れてゐるとされる。
議論の勝敗は、「その場の雰圍氣」でどつちの勝ちなんて事が言はれるけれども、第三者の評價、後世の評價、より研究が進んでからの評價……等々によつて、逆轉する事がある。
ウェゲナーは、大陸を移動させる力が何か説明出來なくて、その場の議論では敗北したさうだ。