闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「部品の意味」に基づいた「HTML 5」は誤だ

「HTML 5」の解説やら何やらを眺めてゐると。「部品」を組合せて「ウェブページ」を作る事を「HTML 5」では積極的に奬めてゐる事が解る。けれども、これだと「テキストにマーク附けしてHTML文書を作る」と云ふ發想は否定される事になる。別にそれでも構はないけれども、それならもうW3Cは「正しいHTML」なんて言はない方がいいと思ふ。

アウトラインモードで見出しを基に階層化された文書を書いて、あとで本文と見出しのスタイルを指定する、と云ふのが「正しいWordの使ひ方」だと俺は信じてゐる。Wordは長文作成の道具だ。Wordでペラのチラシを作る素人さんがゐるけれども、あれを何うしても俺は受容れられない。やつぱりWordはさう云ふ目的で使はれるべきアプリケーションではないと思ふ。
HTMLも本來は、Wordと同じやうに、長文であれ短文であれ兔に角「既に階層構造を持つたテキスト」があつて、それをマーク附けによつて見出しを基に階層化し、スタイルシートで全體のスタイルを指定して、それでウェブで使へるやうにする、と云ふものだ。ペインにぺたぺたと部品を貼り附けてウェブサイトを作るウェブデザイナーの人がゐるし、「HTML 5」的にはさう云ふ人のやり方の方が「正しい」事になるだらうけれども、HTMLが元々さう云ふ目的に最適な言語として構想されたと俺は思へない。ならば今の「HTML 5」は、間違つた進化を遂げようとしてゐるのだ。

繰返すけれども、「HTML 5」は、「文書の構造に基いたマーク附け」ではなくて、「部品の意味に基いたマーク附け」を推奬してゐる。これは絶對にをかしい。「文書の構造」ではなくて「部品の意味」に基づいた要素を作る――つて、やればやるほど「進化の袋小路」に入つて行くやうな氣がしてならない。
「HTML 5」は、レイアウトの爲の言語として、HTMLを變質させようとしてゐる。それが「わかりやすい」「直觀的」なものだから、「セマンティック」派の人々に大歡迎されてゐるのだけれども、その「わかりやすさ」が俺には何うも氣に入らない。今のより抽象化されたHTMLで十分だと思ふし、今のHTMLの方がシンプルだ。
俺は何年か前に「論理マークアップ」を「意味に基くマークアップ」ではなく「文書構造に基くマークアップ」だと強調したけれども、「HTML 5」の仕樣策定者が「意味に基くマークアップ」を「論理マークアップ」だと信じてゐる事は疑ひやうがない。けれども、それなら俺は斷然「HTML 5」の仕樣策定者は間違つてゐると言ひたいし、彼等にHTMLの仕樣を決める資格はないとすら言はう。「HTML 5」は今のうちに潰すべきだ。

http://journal.mycom.co.jp/articles/2007/08/10/html5/index.html
http://www.ibm.com/developerworks/library/x-html5/?ca=dgr-lnxw01NewHTML