闇黒日記?

にゃもち大いに語る

爺氏の單純な頭に感激する

爺氏は、大野晋氏・橋本進吉博士が、科學的な國語學を打立てようとしたから、其れ以前の一切の研究は全て一つの例外もなしに非科學的なものと看做してゐたに違ひないと、驚くべき粗雜な解釋をしてゐる。

先方のコメント欄にも書いたが、橋本博士や大野氏は過去の研究の中で國學者の研究――宣長や契冲等の研究を高く評價し、認めてゐた。そこに一種の科學性を看て取つたからだ。一方、國學者の系統とは別に、歌學者の系統があつて、そちらがひたすら傳統を墨守する立場を取つてゐたのだが、彼等が定家かなづかひを支持支持してゐたのに對し、契冲が腹を立て、「和字正濫通妨抄」を書いてこてんぱんにやつつけてゐる。


さうして明かにされたのが契冲の復古かなづかひと呼ばれるものだが、これが國學者の間でブラッシュアップされてより正確なものとなり、明治時代になつて明治政府に採用される事となる。その動機は、より正しい=より古い日本語の書き方を規範として採用すべし、と云ふものであつたが、そのための研究の仕方が科學的なものであつたからこそ、のちの國語學者から高く評價される事となつた訣だ。

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爺氏の解釋は、「なぜ科學的な國語學者は歴史的假名遣を支持したのか」と云ふ疑問に答へ得ない。これは爺氏の解釋の體系が穴だらけである事を示唆するのだが、爺氏はさうした自分の主張の體系性の缺如を何う考へるのだらうか。

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どうでもいいが、據るべき文獻・典據がある時、大體書く側は冷靜になるよな。
據るべき文獻を引いてゐるのではなく、ただ他人の發言をひつぱつて、解釋して見せてゐるだけの時――爺氏やKirokuroの事だけれども――その人はたいてい、躍り上がつて、調子つ外れのはしやぎ方をして、高笑ひしたり、感情剥き出しにする醜態を晒すよな。
御調子者の人逹は、たまには冷靜になつて、自分の姿を省みた方が良い。

もちろん、殊さら冷靜さを裝つて、他人に居丈高に説教して見せる人もゐて、さう云ふ人も御調子者の人逹は案外好んだりするのだけれども――私はどちらも嫌ひだ。