闇黒日記?

にゃもち大いに語る

書き言葉の研究は「藝術」なのだらうか

なんか世間では「かなづかひの研究は藝術である」みたいな感覺で話をしてゐる人が多いみたいなんだが。


話し言葉が科學になるのに、どうして書き言葉は藝術になるのだらうか。

便宜假名遣と言はれて來た歴史的假名遣の一種の書き方がある。「定家以降契沖以前」――と言つたら不正確で、いろいろな人がいろいろな時代にやつてゐたのだけれども、美的なセンスに基いて、文字の遣ひ方を考へ、出來るだけ假名がかぶらないやうに氣を附けて書く、さう云ふ書き方が「ある」。
いろいろな草紙やら何やら。芭蕉でも西鶴でも、馬琴でも、「歴史的假名遣の規則に從はない書き方」と言はれて來た書き方だ。發音そのまゝでは決してないから歴史的假名遣つぽいが、所謂歴史的假名遣の規則――定家や契冲の假名遣の規則――とは合致しない書き方。それを便宜假名遣と稱する事があるのだが、これが何うやら、紙に書いたり、版木で刷つたりした時に、紙面で美しく見えるやうに、按配してゐるらしいと、さう言はれてゐる事がある。
斯う云ふ「假名遣」なら、なるほど「美しさ」が基準になるわけで、「美しく見える書き方は何う云ふものか」を考へるとしたら、それは言ふまでもなく美學的な觀點からの檢討になる。一種の藝術論だ。我々は美的センスに基いて好きな事を言へばいい。それが科學でない事は論ずる必要がない。

けれども、定家の假名遣にしても契冲の假名遣にしても、さう云ふ主觀的な檢討を行へるものだらうか。そんなわけがない。定家假名遣も契冲假名遣も、いづれも個人の域を超えた、客觀的な實體であつて、それを明かにしようとする試みを我々は「藝術的」な試みであると言ふ事は出來ない。
もちろん、定家や契冲の假名遣を否定する立場の人逹だからこそ、「藝術的な議論」を要求し、美的なセンスに基いた主觀的な檢討こそ、假名遣を扱ふ際には「必要だ」と主張する事になるのだが、私にしてみれば、便宜假名遣を明治政府が排して契冲の歴史的假名遣を採用した事をこそ重視しなければならない事だと思はれる。

明治政府は、より科學的に言語を扱はうとしたのだ。それは文明開化の當然の歸結であり、日本の西歐化に必要な事だつた。それが戰前、不健全な形でしか實現し得なかったし、屡々妨碍も被つた。また、敗戰を機に、さうした從來の方針が一氣に放擲されてしまつた事は、却つて日本のより自然な近代化を妨げてしまつたと評價せざるを得ない。
何度と無く「表音主義」なるイデオロギーによつて日本語を歪曲する試みが行はれ、それを「あるがまゝ」の日本語の状態に戻す反動が戰前は生じたが、敗戰の爲に「反動」それ自體が「惡」と極附けられ、不自然な急進主義が當り前のものとなつてしまつた。「現代かなづかい」なるものが權力を利用した押附けであつた事は論ずるまでもない事實だが、さうした甚だ非民主的な事が民主主義の名の下に行はれたのは何とも非道い話だつたと言はざるを得ない。ところが、さうした無法なやり方を、民主主義を疑ふ人々が、全面的に支持し、禮讚してゐる。日本には民主主義が遂に育たず、そもそも根附かなかつた事の證據である。ところが歴史的假名遣を「民主主義以前のもの」「國粹主義者のもの」と宣傳する事で、事實をねぢまげ、正反對に見せかける「論理」が横行してしまつてゐる。

しかし、民主主義が大變に重要な價値を持つ事は、民主主義を否定し、或は非民主主義的な物事を禮讚する人々が、常に「自分逹こそが民主主義の擁護者である」と主張し、或は「野嵜は民主主義の敵である」と非難するのを見れば、共通認識として既に日本人の間に「ある」と斷定する事が出來よう。
そして、民主主義なるものが必要とされるとしたら、それは權威なり權力なりによる強壓的な支配を排除し、多樣な價値觀が自律的に切磋琢磨し得る環境を人々が要請するがゆゑの事でなければならない。自由な議論を通して、より過ちの少い社會を維持する事が目的であるのでなければならない。
ところが日本では、「間違ひはない、信じなさい」と言つて、國家權力が我々に規範を押附けてゐるのである。私は、それは良くない事ではないか、と指摘してゐるのだが、多くの日本人が「私は支配されたい、命令されたい。國家が私に命令してくるのは良い事なのだ」と反論し、「現代の國家の命令に從はない野嵜は非國民である」と極附けて、潰しにかかる。ちよつと何うかしてゐると思ふ。

繰返すが、歴史的假名遣は、客觀的な存在なのであつて、押附けなんて事はあり得ない。我々の觀念の中に存在するものなのだから、自分の中に既に存在するものを外部の權威が押附ける等と云ふ事はあり得ない。
定家にしても契沖にしても、「眞實の日本語と云ふ觀念」の實在を信じ、それを明かにしようとしただけだ。そこに押附け等と云ふ發想は全く無い。なぜなら、そもそも我々は眞實を求めるものと、彼等は人間を信頼してゐたからだ。明治政府は、さう云ふ「客觀的な歴史的假名遣を教育する」事を選んだ。明治の人は偉かつたと思ふ。今の日本人が子供に「現代仮名遣い」なる「無秩序で何の根據も無い出たら目な決り事」を力づくで押附けてゐるのと雲泥の差がある。