闇黒日記?

にゃもち大いに語る

「平和主義者」

平和な世界を希求するのは、人間が澤山の事柄に違ふ意見を持つてゐても互ひを許し合へる程、本質的に異らないやうになる事を――均質な意見しか持てなくなるやうになる事を――望んでゐるからである。
自分の意見の正しさを確信してゐる人間がゐる限り、人と人とは異見を對立させ續けるし、窮極的には爭ふ事になる。
「けれども、戦争だけは絶対にやっては行けないのだ」と平和主義者は主張する。「戦争は悲惨な結果をしかもたらさない」――。

そんな平和主義者だが、彼等は屡々「戦争さえしなければ何をやっても良いのだ」と勘違ひしてしまふ。「戦争さえしなければ、どんなに陰湿な個人攻撃を仕掛けても良い」――案外多くの平和主義者がこれを信じ、實踐してしまつてゐる。實際、被害を受けた人間だから言ふ。
平和主義者は「左翼」である。「左翼」だから彼等は氣に入らない人物を「右翼認定」する。「右翼認定」の次は「戦争主義者」認定である。さうして「左翼」は平和主義者の立場に戻つてくる。
「戦争主義者」は、平和主義者にとつて、最早人間とは認められない存在である。彼等の「戦争主義者」認定は、一個人や小集團による勝手な認定に過ぎないのだが、それが「勝手な認定である」と平和主義者は考へない。「客觀的な事實である」と思ひ込んでしまふ。はたから見れば身勝手な話だが、當人にはわからない、と云ふ事が「ある」のである。
「戦争主義者」に平和主義者は嫌がらせを始める。相手を人間と見てゐないから、人權無視の酷い嫌がらせが多い。鄙劣で執拗な嫌がらせをしながら、平和主義者は、自分は大變良い事をしてゐるのだ、と思ふ。全人類に成代つて、平和主義者は「戦争主義者」と鬪爭を繰廣げてゐる積りである。

氣に入らない人間を潰すべく嫌がらせを始める人が、ターゲットを「人間としてまともでない」と極附けて、自己を正當化するパターンである。――嫌がらせをする人間がまともでない人間であるのは明かだが、その手の人間は自分が何んな人間か、自覺がないものである。平和主義者も、自分がどんな人間であるか、反省する事がない。

「人を批判するのは、おかしな人間のする事である」と、多くの人が言ふ(これは間違ひであつて、批判は必要な事である)。ところが、「批判」を否定する人が「嫌がらせは立派な人間のする事である」と勘違ひしてゐたりする。「お前は批判をしている」と言つて陰濕な嫌がらせを仕掛ける人がウェブにはいつぱいゐる。斯うした勘違ひした人々が、困り者の「粘着アンチ」と化す。

http://twilog.org/nozakitakehide/date-100620/