闇黒日記?

にゃもち大いに語る

政治主義の勘違ひ

政治に何かを期待する人は根本的に勘違ひをしてゐる。彼等は屡、事實を――眞實すらも――歪曲して平氣である。

右翼を嘲る左翼、或は、右翼の危險性を盛んに宣傳する左翼は、何ら實のある議論をしようとしない左翼である。彼等は、自分の氣に入らない人間をただ「右翼」認定するだけである。それで彼等は「俺大勝利!」と本氣で思ひ込んでしまふ。
ターゲットをひたすら「右翼」「右翼」と極附け續ける――この手の左翼が「右翼認定」をするのは、自分が「勝利した事實」を確認し、安心するためである。

「私は左翼でも右翼でもありません」と言ひながら、政治に固執してゐる人がゐる。大變怪しい人物である。當人が力説する事は、疑つてかかつて良いだらう。

政治にしても經濟にしても、人間が生延びなければならない以上は必要なものだが、そこに何か幻想を見てしまつてゐる人がゐたら、その人は勘違ひをしてゐる。
文學者なのに、政治に興味を持ち、政治の爲に活動する人は、勘違ひをしてゐる。特に日本の文學者に勘違ひをしてゐる人が多い。
政治運動をやつてゐる人に屡々「文學的才覺」を發揮する人がゐる。矢張り勘違ひが原因である。政治主義的な勘違ひをしてゐる文學者と、文學の才能を自分から捨ててしまつてゐる政治活動家

事實や眞實から目を背け、事實の報告や正しい理論を歪曲して「をかしなもの」に見せかけようとする人がゐる。さうでもしなければ自己のアイデンティティを失ひ兼ねないらしいのである。よくわからないアイデンティティである。

右派・保守派のメディアは嘘吐きである、左翼・革新陣營のメディアは正直である、と言ふ左翼・革新の人がゐる。しかし、左翼メディアも、偏向した結果、特定の事柄をしか報じないがゆゑに「正しい事しか言つてゐない」だけでしかなかつたりする。
産經新聞を「誤報だらけ」と極附け、赤旗の報道は正確だと賞揚してゐる左翼の人がゐる。なるほど、勞働問題で屡赤旗は「正確な報道」をする。しかし、赤旗がいつも「自分に都合の良い事實だけを採上げてゐる」と云ふ事を、見過ごしてはならない。赤旗は自分に都合の惡い事實を採上げない。

2ちゃんねるの情報が玉石混淆なら、メディアの情報も玉石混淆である。この事は誰でも想像できる筈だが、2ちゃんねるに肩入れしてゐる人には案外わからなくなつてしまつてゐる。彼等は安易にメディア叩きに走る一方、2ちゃんねらーをひたすら持上げて見せる。觀念で考へて、事實で確認してゐないのである。

粘着アンチの言動は氣持ち惡い。この事を粘着アンチは絶對に自覺しない。
しかし、粘着行動だけで人氣を得られた粘着アンチはゐない。みんな「わかる」のである。
ウェブでは人の足を引張るのが樂しくて樂しくて仕方がない人が尤もらしく政治評論ごつこをやつてゐる。これもみんなそのうち「わかる」。

日本人には、他人でも他國でも、安易に侮る惡癖がある。
自分が恥ぢる能力を持たない人に限つて、他人に恥をかかせて遊ぶ癖がある。「お灸を据ゑてやる」なんて傲岸不遜な事を言へるのは恥知らずだからに相違ない。

深く恨む必要もなければ激しく怒る必要もない事で恨んだり怒つたりする――政治主義的勘違ひである。勘違ひだと薄々感づいてゐる人はゐる。ところが人間は狡いから、自分で自分を騙すのである。殊さら「嘲る」「見下す」「侮辱する」と云つた「餘裕のある態度」を示す事で、勘違ひを隱さうとする。誰から隱すのか。自分の目から隱さうとするのである。自己欺瞞である。