闇黒日記?

にゃもち大いに語る

#その他文学

根本的な價値觀の違ひ

我々と爺氏との間で意見が合はないのは、彼我で信ずる價値觀が根本的に異るからだ。 爺氏が今何を言つてゐるか、見に行く氣がしないので見てゐないが、佐藤さんが報告してゐるのを見れば大體解る。爺氏は、他の一般の現代日本人が信じてゐる價値觀を普通に信…

「正字正かな」は存在しない?

某ブロガー氏のところのコメント欄で「正字正かな」なる用語は「ない」と言はれた事があるけれども、その伝でなら「旧字旧かな」「新字新かな」も「ない」だらう。が、それらは「ある」。 何なんだらう。

『日本文法事典』(有精堂)より

北原保雄・鈴木丹士郎・武田孝・増淵恒吉・山口佳紀編『日本文法事典』(昭和56年12月20日初版発行・有精堂出版)の「仮名遣い」の項に以下の記述がある。 「歴史的仮名遣い」は、契沖によってその基礎が固められた。契冲の仮名遣い観は、『万葉集』や『古今集…

「假名遣ひは價値觀」なる考へ方の誤

進化論も唯物論も、事象に對する價値判斷として機能する。「○○は生存に適してゐたから勝ち殘つた」――勝ち負けの判斷は價値判斷だ。「××時代には支配者と被支配者が鬪爭してゐた」――勿論、鬪爭の結果、勝つべき側が「ある」と云ふのが唯物論の考へ方だから、…

爺氏の單純な頭に感激する

爺氏は、大野晋氏・橋本進吉博士が、科學的な國語學を打立てようとしたから、其れ以前の一切の研究は全て一つの例外もなしに非科學的なものと看做してゐたに違ひないと、驚くべき粗雜な解釋をしてゐる。 先方のコメント欄にも書いたが、橋本博士や大野氏は過…

單純に「かなづかひ」は「規範」だと言へない事

http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-13.html 既に自分が何を書いたかまるで忘れてゐるので、復習になつた。 --- 爺氏は、歴史的かなづかひとしての定家かなづかひと契沖のかなづかひが、規範として「作られた」と考へてゐる。けれども、實際…

「日本語學は科學である」事の報告

取敢ずリンクを張る。 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-12.html ・『岩波講座日本語1 日本語と国語学』P236「7日本語研究の歴史(2)--明治以降--」大野晉 ・『岩波講座日本語別巻 日本語研究の周辺』P299「9日本語学はなぜ成立しなかった…

「かなづかひの研究」に對する爺氏の誤解

爺氏は、「かなづかひの研究」とは「既に出來上がつてゐる規範としてのかなづかひを研究する事」だと思つてゐる。 けれども、私は、「文獻を通して日本語の表記の實態を明かにする事」がかなづかひの研究だと言つてゐる。規範を考へる爲の事前のリサーチの事…

シンポジウム日本語(2)日本語の文法(学生社)より

最初の章「文法研究の問題点」で、報告者・宮地裕氏が、主な日本語の文法の研究を纏めてゐる。 はつきり「科學」と言つてゐないが、明かに科學的な研究としての國語學と云ふ觀念があつて、その前提で各研究の特色を纏めてゐる。 山田、松下、橋本、時枝氏以…

多くの研究者が認めてゐる――國語學は科學である

あと、爺氏は今、日本語の本がない環境にあるから何も勉強できない、と開き直つたが、私は今、日本語の本があり過ぎる環境にあるから引用すべき文章を見附けられない、と開き直つて言ひたい。 幾らでも國語學が科學である事を言つてゐる文章は「ある」。爺氏…

主觀に對する學問上の態度

或學問が科學的かさうでないかなんて、感覺で解るだらうと思ふのだが――感覺だからこそ解らないのだらうか。 國語學が扱ふものは、主觀だと爺氏は言ひ、主觀だから科學でないと言ふ。だが、主觀も、觀察對象として客觀性が認められるのなら、客觀的事實だ。 …

勝ち負けに拘る爺

私は、自分の言つてゐる事が正しいから勝利宣言を出したのだし、「爺」氏その他の人が書込めないやうにしたのは、負け=自分の間違ひを認めないで執拗に書込みを續けた「爺」氏の態度の惡さが理由である。ところが、爺氏は、「勝ち負け」に論點をずらして、…

「経験科学としての言語学」

例のG氏問題のつづき……。 http://ja.wikipedia.org/wiki/理論言語学 広義には仮説検証法による言語の研究はすべて理論言語学ということができ、文献学的伝統や哲学的伝統などの中にしばしばこれに相当する研究を見出すことができるが、生成言語学を指すのが…

中村保男『絶對の探究 福田恆存の軌跡』(麗澤大學出版會)より

實を言ふと福田恆存の著作をまともに讀んだのは最う十年以上も前になる。大學在學中から讀み始めて、卒業して何年かの間――福田さんの著作を購ふ度に讀んでは感嘆してゐた。 が、既に何年も經過して、私の記憶力が大變弱いものであるのは、多くの人の知る通り…

宗教學における四つの分野

岸本英夫が、「人間の信仰に基づく生活行動を対象とする学問」即ち宗教学を、四つの分野に分類してゐる。 それは―― ・神学 ・宗教哲学 ・宗教史学 ・狭義の宗教学 ――の四つである。 神学は「特定の信仰を持つ研究者が、自己の帰属する信仰を、主として護教目…

規範だからこそ

「規範は規範であるがゆゑに科學的でない」と言はれたのだけれども、私の言ひたいのは「規範は規範だからこそ科學的に定めるべきである」と云ふ事。 ――價値觀の研究であると云ふ訣だけれども、しかし、價値觀だからと言つて「主觀的な研究である」と單純に言…

意圖を無視した形式主義では困る

爺氏がまた書き込んでくれてゐるけれども、意圖を無視して、形式的に議論を進めてくれようとするから困る。 ポパーが反證可能性を言つたのも、聖書にはノアの大洪水の記述がある、山から昔の動物の骨が出てきた、これは大洪水で死んだのである、大洪水はあつ…

価値観としての科学

人文学が人文科学であるとしても自然科学でないのは当り前。G氏は「科学」といつたら自然科学以外には絶対にあり得ないと主張して、野崎が「人文科学」と言つたら「人文科学は自然科学である」と「主張した」と云ふ事にして、それを証明しろと迫つた。が、「…

「国立国語研究所設置法」(昭和23年法律第254号)より

「国立国語研究所設置法」(昭和23年法律第254号)の冒頭、「目的及び設置」の項には以下の記述がある。 国語及び国民の言語生活に関する科学的調査研究を行い、あわせて国語の合理化の確実な基礎を築くために、国立国語研究所(以下研究所という。)を設置す…

川島武宣『「科学としての法律学」とその発展』(岩波書店)について(三)

(承前) 著者(川島氏)は、法律が政府權力による強制に基づいて行はれる社會秩序の維持に必要な存在であり、その目的を實現する爲に必要な學問として法律學(實用法學)を考へてゐる。 この法律學では、價値判斷の基準となる社會的な價値體系を明かにする事、そ…

川島武宣『「科学としての法律学」とその発展』(岩波書店)について(二)

(承前) 「法のことば的技術」と云ふのは、裁判の際に用ゐられる論理構成、或は、法律の論理構成を指して言ふ。 裁判において或種の結論に話を持つて行く爲にもつともらしく法律を解釋して辻褄を合せる「三百代言」的詭辯の技術、或は、政府が權力を濫用すべ…

川島武宣『「科学としての法律学」とその発展』(岩波書店)について(一)

「擬似科学批判」としての正かな派の立場 - 闇黒日記2.0 - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/nozakitakehide/30884385.html 國語研究が科學である事について述べたところ、爺なる人に「それは果たして本當に科學か?」と詰め寄られ、執拗に一箇月以上も…

福田氏を利用する喜六郎に騙されない爲に

http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/145.html 福田恆存の有名な芸術論「藝術とは何か」が、中公文庫から発刊されるそうです。 唯一不安なのは解説の執筆者だけど、まーいいか。 ネット上でこの芸術論を剽窃して、あたかも自分の論であるかのように開陳する…

「擬似科学批判」としての正かな派の立場

「現代仮名遣」は樣々な問題を抱へてゐる。が、その最大の問題は、批判が不可能である、と云ふ事だ。「これは正しいのだから、国民は黙って従わなければならないのである」と云ふ發想から、「現代仮名遣」は「正書法」として定められてゐる。 それに對して、…

「歴史的假名遣は明治政府のでつち上げ」と云ふ嘘

白石良夫の『かなづかい入門』が出た事もあり(それ以前から割とポピュラーなものではあつたが)、「歴史的假名遣は明治政府がでつち上げたもので、百年も歴史がない」と云ふ「歴史的假名遣批判」が行はれるやうになつた。最うそれだけで「歴史的假名遣は死ん…

「SKK批判のしかたがちょっとお粗末だった」?

日本語の仮名漢字変換プログラムは一般に文節単位で変換すべきものだ、連文節変換できるべきものだ、とSKKを批判したら、SKKは文節単位でなく単語単位で変換するシステムだ、批判としてお粗末だ、と嗤はれた。何なのだらう。 http://greengablez.net/diary/h…

正字正かなの立場について

「旧字旧かな派」の人、その他の「現代仮名遣」容認派の人々から、正字正かなと言ふのはそれ自體が傲慢であり偏狹であるぞ、と非難されたので、反論したい。なぜなら、偏狹なのは「旧字旧かなと言ふ事しか認めない」「現代人は現代の仮名遣いと称するものし…

福田恆存が「劣化した」としか見られない哀れな讀者

福田恆存は、敗戰直後から評論を本格的に書き始め、注目を集めた。その後、平和論爭で再び注目を集める。この頃からの福田氏の言動を、しかし、多くの人が、著しく低レヴェルなものと看做す傾向がある。 tanzenと云ふ人物が、「福田信者」の俺を嘲るのに、何…

福田恆存は「稼ぐ」事に興味があつたと主張する異常な人物――汝の名は「福田恒存をやっつける会会長」

『増補版 私の國語教室』(新潮文庫)より。 第三章。 ……。雜誌や單行本の編輯者のなかには、たくさん賣るためにはどうしても「現代かなづかい」にしなければだめだと思ひこんでゐる人がをりますが、言ふまでもなく、これは單なる先入觀に過ぎません。試みに吉…

ネチネチした文體の喜六郎

喜六郎が自分の掲示板でこんな事を書いてゐる。 http://6725.teacup.com/kirokuro/bbs?from=bbsticker Re: おいおい 投稿者:喜六郎@管理者 投稿日:2009年 1月23日(金)00時10分10秒 返信・引用 > No.384[元記事へ] 名無しさんへのお返事です。 > 前田のブ…