闇黒日記?

にゃもち大いに語る

押附けは良くないのか

<正しくなさ>を楯にとつて人に自分の價値觀を押附ける善良な人々がゐる。彼等ほど困つた存在はない。彼等は「正しくない」と指摘されると「正しさを押附けて人を追詰めるな」と言つて反論を封じ込める。 日本では他人の發言を封じ込め、言論の自由を侵害し…

「自由主義」と云ふ名の自由の自殺

自由主義者の人曰く「人は他人の權利を侵害しない範圍で自由に振舞へる」――この發想は、人が「他人の權利を侵害しない行動を自然に取る」事を前提とする。それは人が「或領域においては自由に考へない」事を意味してゐる。 自由を唱道しながら最初から自由を…

正しさの押附けについて

日本には「言葉は変化するものだ」とか言つて間違ひを容認する安易さ・甘さがある。そして「若い人に媚びて自分が好かれようとする年寄りの態度」が屡見られる。 「正しい言葉」とか「正しい假名遣」とか云ふ言ひ方を「嫌だ」「嫌いだ」と言ふ人は、間違つた…

「愛国」について

右翼は左翼を「反日」と言つて罵つてゐるけれども、左翼は「右翼こそ反日」だと思つてゐたりする。どつちも「日本は素晴らしい國」と本氣で信じてゐて、「自分の信じ方こそが正しい」と言つて相手に押附けようとしてゐる。俺にしてみれば、日本なんてそんな…

議論の勝敗

議論で、相手の矛盾を衝くのも、相手の主張の根本にある價値觀の問題を衝くのも、どつちも相手の結論に「問題あり」と指摘するのが狙ひだが、それが相手に對する勝ち負けを決めるだけの爲なら「メールで言へば良い」と云ふのは意味のない指摘――相手が聞入れ…

右翼卒業

「私は以前、右翼でしたが、今は右翼をやめました、だから私の右翼批判は信頼出來るものです」みたいな事を言つてゐる人々は、野嵜が元左翼だと告白したら一聯の左翼論に説得力を認めて呉れるだらうか。 http://twitter.com/nozakitakehide/status/215611332…

リバタリアニズムについて

政治主義の勘違ひに陷る人は多い。經濟主義の勘違ひに陷る人も多い。しかし、經濟主義は即政治主義だから、どちらも頭の惡い勘違ひである。 經濟の事を知つてゐる人は物知りの筈で、イスラムの事も詳しい筈だが、イスラムの人々が經濟よりも正義を優先する事…

「自虐」について

「日本の左翼は日本を貶めようとしてゐる」と云ふのは嘘。 ――と言ふより「公開の場に於る自虐」は全て「自らを傷附けるパフォーマンス」に過ぎない。 寧ろ激しいナルシシズムの發露である……。 http://twitter.com/nozakitakehide/status/21496437211

矛盾

「ブログ」やツイート或は掲示板の發言だと「誰が言つたのか」「發言者の政治的立場はどうか」といつた事に多大な關心を寄せる人々が、「日本国憲法」や「現代仮名遣い」となると只管「内容が良いから良いのだ」と言ひ續ける。矛盾。

日本人は戰爭を「した」のか

日本人は「自分逹が戰爭をしかけた」と云ふ事實を、もつとちやんと意識すべきだと思ふ。戰爭に敗けた途端、「戰爭は惡い事ですやつては行けません」なんて言出すのは無責任だ。 戰爭に敗けた途端「戰爭は惡い事だ」とか「やつては行けない」とか言出すのは、…

歴史的假名遣について

「現代仮名遣」が、「日本語の表記を簡單にしたら、日本語教育は樂になり、日本人の知的レヴェルも上がるに違ひない」と云ふだけの理由で主張されたものである事は、どれだけの人が理解してゐるだらうか。ゆとり教育を實施した論理と同じ理由だよ。 「現代仮…

過去を切り捨てる後ろめたさ

今の「神社神道」が何んな發言をしてゐるか、知らないで神道の事を論じたり――剩へ「國家神道」が何うの斯うのと惡口を言つたりしてゐる人が多過ぎる。 「國家神道が何かをやつた」と云ふ事實はない。そもそも「國家神道」なるものは存在しない。靖國神社やら…

相對主義

戰前の社會を右寄りだと思つてゐる人は、戰後(今)の社會が左寄りである事實を忘れてゐる。 少くとも戰前の人が見たら戰後は左に寄り過ぎてゐると思ふだらう。 https://twitter.com/nozakitakehide/status/20981921676

教育の結果としての「現代仮名遣」信仰

我々は、子供の頃から「現代仮名遣い」や「日本国憲法」は「良いものである」、或は「今の日本は最高に良い国である」と教へ込まれてゐるから、それらを疑ふ事が出來ない。 我々は、左翼的で進歩的な思想を子供の頃から「正しい」ものとして教へ込まれ、「常…

敗戰國の平和主義とやら

戰後の日本が敗戰國である事を自覺して、「謝罪と反省の念を持つて生きる」と云ふのも、それはそれで「あり」です。けれども、その場合、戰爭による勝つた負けたを認める、と云ふのだから、戰爭それ自體を正義の行爲と認めなければ行けません。 「してはなら…

後世に殘る政治

村山氏にしても菅氏にしても、左翼方面の連中が政權を取ると、權力を使つて自分の好きな事をする。タカ派の人が首相になつても、こんな「後世に殘る事」は絶對やらない。 村山談話を見ても菅談話を見ても、日本人は戰前、胸を張れるやうな事は一切しなかつた…

「反近代の思想」

『ウナムーノ、オルテガ往復書簡』(以文社)を讀み始める――。 編者A・マタイスによる解説文が解り易い。西部邁がオルテガにはまつた事に就いて考へる爲にもオルテガを讀む必要がある。オルテガも「反近代の思想」の思想家で、ニーチェ同樣問題のある思想家と…

氷上英廣『ニーチェの顔』

氷上英廣『ニーチェの顔』(岩波新書青版954)を讀んだ――。 ニーチェは史上最大のアンチで、いろんな人に粘着しては非難を浴びせると云ふのを一生やつて、最後に發狂して死んだ。粘着アンチ問題にかかはる人はニーチェを研究すると良いと思ふ。あれこれ難癖を…

ビジネス書つて、讀む意味あるの?

今の人はなぜビジネス書に惹かれるのだらうか。半年も壽命が無いのに。そんな本を一生懸命讀んで、何か學べるのか。 大枚はたいてビジネス書を新刊で買つてゐる人には、頭の惡さう、と云ふイメージをいだいてゐる。多くのビジネス書は、出てから半年も經てば…

人を貶すために貶す人

人は屡々、自分が嫌ひだと思ふ人間を貶める爲に、その人の關係者を貶める。師を貶すのはその一番安易な手法であり、弟子を貶すのも同じやうに安易な手法である。最惡なのは、その人が、それが「手法」だと云ふのをすつかり忘れて、何時の間にか本氣になつて…

自らを否定すべき文句で以て他人をdisる人々

「日本人論を言う人は一般に」何うの斯うの……と非難する人がゐるけれども、自分がをかしな事を言つてゐると、なぜ認識出來ないのだらうか。日本人を日本人と一般化するのはをかしいと言ひながら、自分も一般化を試みてゐる。誰が何う考へたつてをかしい。 「…

「日本が好き」な人?

「保守」を自稱したり「日本が好き」と言つたりしてゐる人でも、歴史的かなづかひが「嫌い」つて公言してゐる人が結構ゐるからね。 ありのままの日本が好きなのではなくて、現代人の「ぼく」が活躍するステージとしての「現代の日本」が好きなんだらう。保守…

「日本に道徳がないといふのは」

「日本に道徳がないといふのは、教条的なものがないといふことでせうか。」 日本には教條的なものしかない、と考へます。徳目・教條と云ふものはあるんですが、葛藤も相克もないんです。だから道徳と云ふものは無い。 日本人は皆、徳目の體系性とか理論とか…

現代の文學

今の日本國でどんな文藝作品があり得るか。iPS細胞のやうなものの方が文藝作品なんかより遙かに大きな問題を示唆する時代である。 純文學の小説が、一部の人の趣味の爲に奉仕し、一般性を缺いてゐる現状は、何が原因なのか。そもそも「一般性を缺いて」をり…

政治家の離合集散

政治家の離合集散が相變らず續いてゐる。これには誰もが呆れてゐる筈なのだが、しかし、なぜか今も政治家は、個人同士の好き嫌ひでもつて仲良くしたり、仲違ひしたりしてゐる。 ――實は、案外多くの人が、好惡の感情で黨派を作つたり袂を分かつたりするのを受…

政治主義の勘違ひ

政治に何かを期待する人は根本的に勘違ひをしてゐる。彼等は屡、事實を――眞實すらも――歪曲して平氣である。 右翼を嘲る左翼、或は、右翼の危險性を盛んに宣傳する左翼は、何ら實のある議論をしようとしない左翼である。彼等は、自分の氣に入らない人間をただ…

政治目的で主張された「南京大虐殺」なるもの

政治思想の押附け合ひには意義を感じない。 「南京大虐殺」が「あつたと云ふ結論」にではなく、「南京大虐殺」が「あつたと結論を出すに至るまでの思考・檢討の過程」に、野嵜は反對したのだ、と云ふ事を、「あつた派」の人も「なかつた派」の人も理解しなか…

宗教批判について

俺がエホバの証人叩き・モルモン教叩きをやらないのは、宗教に關する知識もさる事乍ら、そもそも自分を律する宗教心を持合せてゐないからだ。叩く事より先にすべき事がある、と思つてゐる。 だから俺は宗教批判をしない。 自分が何かの宗教を信じてゐて、そ…

坪内祐三・福田和也『暴論』について

坪内祐三と福田和也の対談本『暴論』。 噂眞の岡留と話をした囘があつて、坪内が噂眞を「教條的でない左翼」だと褒めてゐる。三人が仲良くしてゐるのだけれども、Kirokuroなんかもこいつらと同じで、兔に角「教條的」ではないつてだけだ。 右とか左とか云ふ…

「平和主義者」

平和な世界を希求するのは、人間が澤山の事柄に違ふ意見を持つてゐても互ひを許し合へる程、本質的に異らないやうになる事を――均質な意見しか持てなくなるやうになる事を――望んでゐるからである。 自分の意見の正しさを確信してゐる人間がゐる限り、人と人と…